理想の教育

言いたいことは 2つです。

① 「歴史のテスト」を強要してはならない
② 「宗教」「IT」「コミュニケーション術」も「教育」するべき

「歴史のテスト」を強要してはならない

学生時代、私は「歴史のテスト」を受けることを幾度となく強制されました。
そして私は、それが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

今回はそんなお話。

(ちなみに、私がこれから批判するのは「歴史のテスト」についてです。「歴史」そのものには多少の存在意義があると思っています。たとえば政治の世界などでは、何百年前に奪われた土地がどうのこうの! という主張が(驚くべきことに)大きな力を持ちます。この不思議な現象の理解には「歴史」を知ることが不可欠です。)

単刀直入にいいましょう。

「歴史」はすべて「嘘」です。
だからそんなものを覚えてもまったく意味がありません。
(冗談です。会話の種とかになります。なので少しだけ意味があります。)

「歴史」には 3つの「嘘」があります。

まず 1つ目の「嘘」。「文献」を書く人は「嘘」をつきます。

「歴史」の性質上、文字によって書き残された「文献」のみが頼りです。
しかし、ご存知の通り人は見栄を張りたくなる生き物です。
自分の兵が 1万だったら、ついつい「俺様は 100万の軍を持っている」って言いたくなっちゃう生き物なのです。
しかも不幸なことに、その「文献」が「嘘」であると証明するのはとても大変なことです。

もちろん信頼性の高い「文献」というものも存在します。
ですが、人間にありがちな「思い込み」「勘違い」「くだらないプライド」などの存在も忘れてはいけません。
「文献」を書く本人に「嘘」を書く気がなかったとしても、「嘘」は紛れ込んでしまうものなのです。

聖徳太子をご存知でしょうか?

彼は飛鳥時代の政治家で、1度に10人の話を同時に聞き分けたという伝説を持つ超人です。
「十七条憲法」「遣隋使の派遣」「冠位十二階」「法隆寺」などの偉業があり、歴史の教科書では定番の人物です。
(1度教科書から消える騒動がありましたが、今は見事復活を遂げたようです)

しかし、最近の日本史の研究では「彼の業績すべてを彼が成し遂げたとは考えにくい」というのが定説となっています。

根拠としては、一人の人物がこれだけの業績を残すのは極めて難しいということ、十七条憲法が制定されたとされる当時は、とてもそのような法文が認められるような情勢ではなかったこと、遣隋使派遣についての日本の文献が存在しないこと、などがあります。

歴史の教科書ですら「文献」の「嘘」に振り回されているのです。

そして 2つ目の「嘘」。「文献」を読む人は「嘘」をつきます。

「昔の人」と「現代の人」はまったく違う生き物です。
平均寿命が30歳前後の超々格差社会、飢えでその辺に人が死んでいるのは当たり前、生まれた場所でその人の人生が決まる、そんな、現代とはまったく異なる世界に生きる人間が書く文章を、甘ったれた我々が読み解くのは至難の技です。

ただでさえ文章表現が違うのに、その土台となる「文化」が違いすぎます。
どんなに頑張って現代語に訳しても、その当時の人々が本当に言いたかったことは我々には決して分からないでしょう。

最後に 3つ目。「歴史」を伝える人は「嘘」をつきます。

仮に「文献」が真実で、その意図を 100%正確に汲み取れたとしましょう。
でも、それでも「歴史」は「嘘」の塊です。
なぜならば、現代の政治的な利害関係が絡んでいるからです。

そもそも「歴史」はあまりにも膨大なので、すべてを「教育」に組み込むことはできません。
ですので我々は選ばなければなりません。

何を「歴史」として教え、何を教えないか。

そこには「歴史」を選ぶ人間の「意志」が反映されます。
つまり、現代の政治にとって不都合な「歴史」は「教育」されません。
多様な解釈が可能な「文献」については、「意図的に」現代の政治に都合の良い解釈が適用されます。

以上の 3つの理由により、「歴史」は「嘘」の塊です。

だから、正しい「歴史のテスト」なんて、誰も作れるはずがありません。
だって誰も答えが分からないのですから。

「宗教」「IT」「コミュニケーション術」も教育すべき

実は今回のテーマは「教育」でした。
「教育」とは何か、我々は何を学ばなければいけないのか、最後にそんなお話をしようかと思います。

お話を分かりやすくするために、「教育」の目的を先に決めてしまいましょう。
ここでは「教育」には以下の 2つの目的がある、ということにしましょう。

  • 世の中についての理解を深めること
  • 社会でお金を稼ぐ(もしくは生きていく)のに役に立つこと

このどちらか(もしくは両方)に当てはまるものを「教育」するべきカテゴリ、としましょう。
そして、『世の中についての理解を深めること』の方が『社会でお金を稼ぐ(もしくは生きていく)のに役に立つこと』よりも重要、としましょう。
前者のほうが時代の影響を受けづらいので。

そうしたときに、私なら「教育」すべきカテゴリを以下のようにします。

今の「教育」のカテゴリ

  • 文系
    • 国語
    • 英語
    • 歴史、地理、現代社会、倫理、政治、経済
  • 理系
    • 数学
    • 物理、化学、生物、地学
  • その他
    • 体育
    • 芸術、音楽

Fully Hatter の「教育」のカテゴリ

  • 世の中を知る
    • 論理について (数学)
    • 宇宙について (物理、化学)
    • 地球について (生物、地学、地理)
    • 人類について (言語、宗教、歴史、倫理)
    • 自分について (哲学、体育、芸術、音楽)
  • 金を稼ぐ
    • コミュニケーション術
    • 社会構造 (現代社会、政治、経済)
    • 英語
    • IT

人類についての理解を深めるために、「宗教」を知ることは不可欠です。
日本人にはあまり関係がなくても、世界中のほとんどの人が「宗教」に大きな影響を受けています。

IT については、私が言うまでもないでしょう。

コミュニケーション術については、あまり一般的に知られていませんが、これは「スキル」です。学んで身につけるものです。
体系化して「教育」に組み込む価値はあると思います。

そして、「政治」「経済」や「英語」については、時代による影響を受けやすいという意味で、地位を一段階落としてもいいのではと考えています。

さらに、「哲学」「体育」「芸術」「音楽」の地位は逆に一段階上げてもいいと思います。
IT技術の発達で、これから人間には高い創造性が要求されます。
下らない仕事はコンピュータがやってくれるからです。
その創造性を養うために、これらの分野はとても重要なのでは、と思っています。

そんな感じです。


Comments

1. やまげ さん
[2017/09/22 21:19:00 JST(UTC+09:00)]

教育科目がとっても偏っている感じが好きです。

国語教育って、個人的には非常に大切だし、
抽象化すると数学ともプログラミングとも
大して違いなんてない気がするんだけど、何故不要なの?
言語ってところにいれてる?

2. Fully Hatter さん
[2017/09/25 19:16:00 JST(UTC+09:00)]

> やまげ さん
分かりづらくてすみません。

「国語教育」は「言語」に入ってます。

私の教育カテゴリには、今の教育で教えている分野はすべて入れているつもりです。言いたいことは「このカテゴリもっと教えてよ!」と「このカテゴリは逆に重要視されすぎ!」ってことで、今の教育のすべての分野に(程度の差こそあれ)敬意を払っています。

3. やまげ さん
[2017/09/25 23:37:00 JST(UTC+09:00)]

理解。

ついでに興味本位だけど、ジョブズのこの発言どう思う?「大事なのは思考プロセスを知り考える方法を知ることさ。 米国人は全員プログラミングを学ぶべきだ。 」

米国人は置いといて。

4. Fully Hatter さん
[2017/09/26 20:09:00 JST(UTC+09:00)]

> やまげ さん
実は Fully Hatter は仕事でプログラミングをしている人なので、ジョブズさんが言おうとすることはとてもよく分かります。
将来的には、Fully Hatter の教育カテゴリは「論理」「宇宙」「地球」「人類」「コンピュータ」「自分」の六分野になるのではと予想しています。
ですが、今時点では「コンピュータ」の歴史はまだまだ浅いので、ちょっと格を落として教育に組み込むべきだと思います。
(歴史が浅いということは、何かの発見などである日突然「コンピュータ」がこの世から不要になる可能性がある、ということです。そのときに人類が受けるダメージをなるべく減らす(人類を絶滅させない)ためにも、「コンピュータ」というカテゴリの格は最初は落とすべきです。)

脳科学や心理学についても、同様の理由で教育上の格は落とすべきと考えます。

5. Fully Hatter さん
[2017/09/26 20:09:10 JST(UTC+09:00)]

■ プログラミングのすごさ
プログラミングをすると、大体の場合問題が発生します。
それは、プログラムの書き方がそもそもダメだったり、デザインがダメだったり、他の人が手を加えていたせいだったり、利用しているツールのせいだったりします。
いろんな問題に、ああでもない、こうでもないと解決策を考える作業がプログラミングをしている時間の大部分を占めます。
なので、問題をどう解決するかという能力を磨くにはプログラミングはとてもいい練習になります。

しかも、プログラミングには数学ととても似た性質があります。
それは「答え」が比較的容易に分かるという性質です。

歴史や哲学、言語などについての論文で、それが正しいと証明することは極めて難しいです。
聖徳太子が本当に実在したことを証明するのはとても難しそうですよね。
参考になる文献が真実であることから証明しなくてはいけませんから。

それらに比べると数学やプログラミングではそれが「正しい」と「比較的」容易に分かります。
プログラミングなんて、ちょっと動かすだけでそれが正しく実装されてるか分かっちゃったりします。
(もちろん、数学もプログラミングも、それが本当に正しいのかというのは難しい問題になります。「比較的」に言うと、です。)

数学がどの分野よりも先進的なのは、ほかの分野に比べて「答え」が分かりやすく、議論がどんどん先に進むからではないかと考えています。

6. やまげ さん
[2017/09/26 21:47:00 JST(UTC+09:00)]

プログラミングの思考トレーニング性については分かりました。流石プログラマーですねw

ただ、上のところでも書いたように本質的にはプログラミングも数学も、そして哲学も結局あまり変わらないと思うのです。情報の受け渡しに過ぎないのかなあと。

ジョブズの発言で気になってるのは、プログラミングが思考のトレーニングに関して一番良いみたいな言い方をしているところ。個人的にもそんな気はしてるけど、本当にそうかなと思うんです。

答えの正しさとかの観点を持ち出すなら、正解がないようなもので腹落ち感を覚えさせる哲学の方が寧ろ思考トレーニングになり得る気がするんだけど、どう思う?

7. Fully Hatter さん
[2017/09/27 23:00:00 JST(UTC+09:00)]

> やまげ さん
『ジョブズの発言で気になってるのは、プログラミングが思考のトレーニングに関して一番良いみたいな言い方をしているところ。』

この考え方自体に私はそもそも反対の立場です。
私の考えは以下です。

・教育を「脳トレ」的なアプローチで語ることはできない

「思考のトレーニング」って表現は、たとえば「思考力」「コミュニケーション力」「創造力」など、脳の力をいろんなタイプに分解して、その中の「思考力」という力を鍛える、という意味かと思います。(違ったら指摘してください)

ですが、人類は脳のことをほとんど何も分かっていません。

分割脳患者の観察や脳の一部を一時的に麻痺させるテクニックなどで少しずつ脳についての理解を深めてはいますが、現代の脳科学は数学で言うところの足し算引き算を頑張って考えているレベルだと思ってます。

なので、そんなよく分からない脳に関わる事柄について、これはこうだ! なんて誰もいえません。
だから、脳はこういう要素に分解できて、この要素を鍛えるにはこうすればいいのではないか、という議論自体が机上の空論だと思っています。

そういうことをいう人間がいたとしたら、それはパフォーマンスか、もしくは適当に言ってみただけでしょう。
(ジョブズさんの場合は前者かと勝手に思ってます)

「思考力」なんて概念は脳にはないんじゃないか、とすら私は思ってます。

8. たかはら さん
[2017/09/28 20:22:00 JST(UTC+09:00)]

プログラミングは間違いがあると動かない。人間の思考は間違いがあるはずなのに気付かない。
プログラミングを修正すること、すなわち合理性があり、矛盾が生じていない状態にする作業をトレーニングすることは、自分の思考回路の整合性をあげるトレーニングにもなるはずだ。
議論中に論点が違うことを論じるというのは、よくあることだが、ここに繋がる。

だがしかし、1番良いという言葉に引っかかる。

だから僕ちんは、
「プログラミングのトレーニングが最も良い思考トレーニングだという言葉は、ジョブズ先生のセンス溢れた比喩表現」
だと考えるのだがどうだろうか?

※僕ちんのセンスのない翻訳
「自分の思考回路に発生しているはずの矛盾・不整合を取り除くという作業を繰り返すことは、思考トレーニングに1番良い」
(方法は述べていないので人それぞれのやり方があると解釈すると、1番という言い方にも納得できる)

9. たかはら さん
[2017/09/28 21:22:00 JST(UTC+09:00)]

あれ?
読み返して気付いたんだけど、
そもそもジョブズはプログラミングが思考トレーニングに1番良いとは言ってないんじゃないのか?笑
だとしたら俺は一体何を言っているんだ?笑笑笑

10. Fully Hatter さん
[2017/09/29 22:28:00 JST(UTC+09:00)]

> たかはら さん
概ね同意です。

たぶんジョブズさんもそういうことが言いたかったんじゃないかと思います。
ただ、プログラミングが一番とは言ってなかったですね。

原文を見つけたので以下に引用。
(1995年のジョブズさんへのインタビューの一節のようです)
『I think everybody in this country should learn how to program a computer. Should learn a computer language because it teaches you how to think. It's like going to law school. I don't think anybody should be a lawyer but I think actually going to law school would be useful coz it teaches you how to think in a certain way.』

11. Fully Hatter さん
[2017/09/29 22:53:00 JST(UTC+09:00)]

> たかはら さん
さらに一点、思考について思うことがあるので書きます。
たかはら さんの以下の翻訳についてです。

『自分の思考回路に発生しているはずの矛盾・不整合を取り除くという作業を繰り返すことは、思考トレーニングに良い』

いままで、数学、哲学、プログラミングという枠で「思考」について考えてきましたが、それ以外の「思考」もあります。
今まで「思考」と言っていたものは「論理的な思考」のことです。
しかし、「論理的でない思考」も存在します。
プログラミングは論理がベースなので「論理的でない思考」を鍛えることはできません。

12. Fully Hatter さん
[2017/09/29 22:53:10 JST(UTC+09:00)]

■ 「論理的でない思考」とは?
まず「論理」とは、「Aなら絶対にB」「Bなら絶対にC」とすると、「AならC」になるってことです。
「となりのじいちゃんはハゲてる」「ハゲてる人は全員苦労している」としたら、となりのじいちゃんは苦労している、って言えますよね?
それが論理です。

だから、数学も哲学もプログラミングも、論理のお話です。

ですが、たとえば今日の服の色は何色にしようかな? って「思考」は「論理的でない思考」です。
その日の気分だったり、なんとなくで人はその色を選ぶからです。

同様に、クリエイティブな活動は基本的に論理的ではありません。
そこには大抵、偶然やひらめきといった要素が絡むからです。

さらに、「倫理」の世界も「論理的でない思考」がベースになっています。
有名な話に「トロッコ問題」という倫理の題材があります。
内容は以下です。

『あなたはトロッコに乗っています。ふと前を見ると、なんと線路に5人の大人が縛り付けられています。このままでは5人を轢き殺してしまいます。ですが幸い、あなたの手にはレバーがあります。このレバーを引くと線路の行き先が変わり、5人を轢き殺さないルートにトロッコの進路を変更可能です。ですがよく見ると、もうひとつの進路にも 1人、大人が縛り付けられていました。あなたはレバーを引き、1人を轢き殺しますか? それとも何もせずに 5人を轢き殺しますか?』

これは論理では答えは導けません。
よくある回答は以下の 2つでしょう。

- 5人の死より 1人の死の方がまだマシなのだからレバーは引くべき。
- ‎レバーを引くということは自分が 1人の命を奪ってしまうということ。そんな選択はできないから、5人の死をなす術なく受け入れるしかない。

13. 小野瀬 さん
[2017/09/30 10:09:00 JST(UTC+09:00)]

教育とは考える力を奪う洗脳と紙一重。シュタイナー教育が1番!
天上天下唯我独尊という言葉の意味をある程度理解できてる人以外の教育は暴力に等しい。

14. Fully Hatter さん
[2017/10/01 21:16:00 JST(UTC+09:00)]

> 小野瀬 さん
「教育」は「国家」と「経済」から自由でなければならない、という思想には概ね同意です。
さらにいえば、「教育」だけでなく、たとえば「医療」も「経済」から自由であるべきだと考えます。
貧しくとも「教育」や「医療」は保証されるべきだと思うからです。

ただ、「シュタイナー教育」は「教育」ではなく「宗教」でしょう。
私は「シュタイナー教育思想」のような経験則に基づいた理論体系には懐疑的です。

以下 Wikipedia から引用。
『シュタイナーの教育思想では、人間の本性、すなわち内面の特質を、身体(肉体、Leib)、心、(魂、Seele)、精神(霊性、Geist)の3つに分けて理解している。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/シュタイナー教育

15. たかはら さん
[2017/10/02 01:36:00 JST(UTC+09:00)]

原文転載ありがとう。

ジョブズは、thinkに良いということを言っているんだね。
Fully Hatterさんのいう論理的でない思考というのは?thinkなの?feelなの?そして偶然とひらめきは?

俺が返したこれは、言葉遊びだな。結局これは定義する人次第ですな。
というのを前提に、俺はそれが「思考」に含まれないものとして解釈するかなぁーって感じですかね。「感覚」とかって言葉にした方がしっくりくるような…
という、考えです。どうでしょうか。

16. Fully Hatter さん
[2017/10/02 20:28:00 JST(UTC+09:00)]

> たかはら さん
そうですね。
「思考」を「論理的な考え」とすれば、確かに整合性はとれると思います。

論理的でない思考は think でも feel でも感覚でもいいと思います。
個人的なこだわりは特にありません。
ただの定義の問題かな、と。

つまり、異議なし!

17. せる せろり さん
[2019/04/19 02:23:36 JST(UTC+09:00)]

こんにちは、失礼します。

歴史に関しては、文献学、という意味でわかります。
人間は自分に都合のいいことだけを拾い読みする性質を持っているので、
座学というのは限界がありますね。
そのあたりも哲学では研究されてたりします。
「昔の人の文化なんてわからないんだから、翻訳がいくら正確でも意味は分からない」
という趣旨のご意見は、すごく鋭いと思いました。
共約不可能性と言って、哲学的にもすごく本質に近い(と私が思ってる)ところだったりするので。
(もっと概念を広げると言語哲学の成立基盤にすらなると思います。)

教育メニュー見させてもらって、このバランス感覚はすごいなーと思いました。

ところで、ちょっと気になってる技術で、ディープラーニングというのがあって、
要はニューラルネットワークなんですけど、あれアルゴリズム不要なのです。
でも、画像処理や音声処理、さらには創造力の問題についてもどんどん問題解決していて、
なんかついに人類は神を作ってしまったのではないかと思ったりもします。
量子コンピューターを活用してらっしゃるくらいだからご存知かもしれませんが・・・
あれって人類から考える力を奪う最終ツールのような気もしないでもありません。
結果さえ出ればいいと言う発想でやると、手続き的な思考なんて実は無意味だったってことになる気もします。

どう考えたらいいのでしょうね?

18. Fully Hatter さん
[2019/04/21 08:32:53 JST(UTC+09:00)]

> せる せろり さん
確実に言えることは、ディープラーニングという技術が今は持て囃されすぎている、ということです。
少なくとも金融の世界では、ディープラーニングを含む機械学習の適用範囲は限定的です。
(FinTech などと持て囃されてはいますが、実際に収益化に成功している例は稀です)

これは完全にマスメディアのせいだとは思うのですが、実際の現場にいる人間と世間一般の人たちとの認識のずれの大きさがとても気になります。
おそらく昔からそうなんだとは思いますが。

テレビで取り上げられてみんなが注目しているような事象は、その専門家にとっては大抵 10年前の技術だったりするわけです。

メディアが垂れ流す情報に惑わされず、ディープラーニングで本当は何ができるのかを見極めることが大事だと思います。

19. せる せろり さん
[2019/04/29 07:43:03 JST(UTC+09:00)]

こんにちは

>Fully Hatterさん

『メディアが垂れ流す情報に惑わされず、ディープラーニングで本当は何ができるのかを見極めることが大事だと思います。』

メディアの情報はもともと仕入れてなかったのですけど、
ニューラルネットワークは出たころから目をつけていた技術だったので。

形をまねすれば、結果も出るかもしれない、という思考の罠に、
私自身がはまったのかもしれませんね。

もしできても現実的規模ではできない、ということなのか、
そもそも原理的にできない、ということなのか、
気になるところではあります。
もうちょっと勉強してみますね。
情報ありがとうございます。


余談になるかもしれませんが、
機械翻訳ですけど、あれは、今後の公文書の在り方が変わってくるんじゃないですか?
人間が翻訳すると”気分”による揺れが発生するけど、機械が翻訳すればそれがない。
解釈には”気分”は邪魔だから、公文書の翻訳は全て機械で、という流れが、
出来ないとも限らないのではないかと思っています。
翻訳者の利権(強いのかな?)が絡んでいればそんなことにはならないのかもしれませんが。

20. Fully Hatter さん
[2019/05/06 18:56:07 JST(UTC+09:00)]

> せる せろりさん
機械翻訳の学習過程では、気が遠くなるほどのパラメータの手動チューニングが必要なようですね。
機械学習とはいうものの、実装者の「気分」による揺れは不可避な気がします。

まあ、機械学習の専門家でもないわたしがいうのも非常にアレですが。

どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。


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