「民主主義 (民主制)」は正しいのか?

〜投票制度の盲点と、その改良のための 3つの提案〜
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民主主義(民主制) は正しいと思いますか?

おそらく、多くの方は「民主主義は正しい」と思っていると思います。
ヒトラーのような独裁国家やソ連のような社会主義国家よりも、現代の民主的な数多くの国々の政治形態の方が優れている、そう考えていると思います。

わたしは今まで生きてきた中で、「民主主義」それ自体の正当性を疑う人に出会ったことがほとんどありません。
これほど政治について問題が山積みなのにも関わらず、多くの人は「民主主義」それ自体を決して疑いません。
それどころか、「民主主義」を汚すような発言に対しては、我々は驚くほどの拒絶反応をみせます。

なぜ「民主主義」は絶対的に正しいとされているのか?
本当に「民主主義」はかけがえのないものなのか?
何か我々が見落としている点はないのか?

今回のテーマはそのあたりになります。

民主主義の欠点

議論を始める前にまずは、民主主義の欠点は何なのかを明らかにしましょう。
民主主義に対してのよくある批判は以下ですね。

  • 民衆なんてみんなバカばっかりなんだから、民衆が判断したらろくな事にならない
  • 多くは多数決で決まるので、多数派が常に有利になる (少数派が切り捨てられがち)
  • 真に素晴らしい政治家よりも、民衆受けがいいだけの無能な政治家が得票数を獲得しやすい

なぜ民主主義は「正しい」のか?

なぜ民主主義が正しいかは、ある程度シンプルな問いだと思います。

人類を大きく「一般大衆」と「それ以外 (特権階級、公務員、富裕層など)」とに分けたときに、その大多数は「一般大衆」であって、その大多数に大きな決定権を持たせる政治体系が民主主義です。
我々「一般大衆」に大きな力をもたらす政治体系について、我々が「正しい」と評価することはとても自然なことでしょう。

我々が見落としていること

民主主義が神聖化されてるこの現代で、民主主義を批判することはほとんどタブー視されています。

そしてわたしは、ここには大きな問題があると思っています。

価値のある何かを守ることはもちろん大切なことですが、なぜそれに価値があるのか、何か見落としはないのか、常に検証し続けることは重要なことだと思うからです。

『気を抜くとヒトラーのような独裁国家になるのではないか?』

のような心配もあるかもしれませんが、日本のように海外の国に多くを依存し、国際的な協力関係が極めて重要な国において、海外の国々や国連やあらゆる組織の監視の目をくぐり抜けながら独裁国家を築くことはそう簡単なことではありません。

それよりも、現行の民主主義が絶対視されている理由は他にあるのではないでしょうか?

たとえば、政治的な力を手にするためには現行の民主主義のルール上で勝ち上がらなければなりませんが、それは言い換えると「政治的な権力を持つすべての者は現行の民主主義のルールで勝ち上がっている」ということです。

現行のルールに最も適合した集団のみが常に意思決定を行うため、現行のルールには (それがどんなに愚かなルールだったとしても) 非常に強い惰性が働くことになります。
ルールが間違っていると気づいたとしても、そのルールを変えてしまうと現政権に不利に働く可能性が高いからです。

この点は、民主主義の盲点ともいえる大きな弱点といえるでしょう。

民主主義の「他の形」の提案

上記のように、我々の社会を形作るルールそれ自体を変えることはとても難しいと思われますが、まずはその第一歩として、ありえるとしたらどのような「他の形」があるのか、いくつか具体例をご紹介しようと思います。

他の形①: 一人複数票 (1人1票制の代替)

たとえば日本の民主主義のベースにもなっている1人1票の投票制度ですが、この制度自体は絶対的なものではありません。

むしろわたしは、民主主義を成立させる上では「1人1票の投票制度」には大きな問題があると思っています。

個人的に最も気になっているのは、投票という行為があまりにもコストパフォーマンスが悪すぎる、ということです。
どんなに一生懸命政治について勉強し、どこに投票すべきか熟考したとしても、我々に与えられているのはたった 1票です。
その分の時間をたとえば仕事や勉強や自己投資に当てることと比較してみれば、投票がどれほど無意味に見えるかは想像に難くないと思います。

その問題を解消するひとつのアイディアとして、一人複数票の投票制度 (Quadratic voting) が考えられます。

これは、たとえば 1人に 100ポイントの権利を与え、そのポイントを自由に好きな政党や候補者に投票する、というものです。
そして、たとえばある政党に複数ポイントを投票する際には、2票投票するためには 4ポイント、3票投票するためには 9ポイント、4票投票するためには 16ポイント、というように、多くの票を入れるために必要なポイントが 2乗の重み付けとなります。

これにより、たとえば自分が少数派だったとしても、その少数派を支持する政党に 100ポイント (= 10票) を投票することができ、投票結果に民意をより強く反映できる可能性があります。

他の形②: 子どもの投票権 (シルバー民主主義の緩和)

もう一つの問題として、たとえばこれから何十年とその社会で生きていく若者と寿命が残り数年の高齢者とで、どちらも未来を決定するためのまったく同一の権利を持っている、ということが挙げられます。
ご存知の通り現代の日本は少子高齢社会なので、これはより大きな問題として現実世界に影響を与えています。
高齢者にとって幸せな社会を作ろうと、若い世代への負担を増やして未来への投資を控えていたら、未来の日本がどのようになっていくかは誰の目にも明らかかと思います。

もちろん、人によって投票権の大きさに傾斜をつけることには大きな問題がはらんでいますが、その一つの是正策として「子どもへの投票権の付与 (ドメイン投票方式)」は俎上に乗せるべきアイディアだと思っています。

もちろん、赤ちゃんや小学生が「正しく」投票することは難しいので、ある程度の年齢になるまではその親が代理で投票をすることになります。

これにより、これからの未来を担う世代の民意を投票結果に反映することができ、少子高齢化へのひとつの対策にもなりえます。

他の形③: 投票した人にお金をあげる (投票コストの削減)

最後に、投票制度をより望ましい形にするためのちょっとしたアイディアとして、投票をした人には報酬(お金) を与えるべきだと思います。(投票をした人にその場で 1万円を手渡すようなイメージ)

日本の民主主義では一票でも多く得票した政党が勝つので、たとえば若者と高齢者という 2集団があり、それぞれの集団を支持する「若者党」、「高齢者党」があったとすると、いまの日本では高齢者の方が人口が多いので、たとえ若者が全員「若者党」に投票したとしても、勝つのは結局は「高齢者党」になります。
この現実において、若者にとっては投票行為に何の意味もないので、若者の投票率は下がり、それと同時に「高齢者党」の投票比率が上がり、ますます政党は高齢者に向けた政策を打ち出すようになる、という悪循環が発生します。

投票をした人にお金を配ることで、若者にとっても投票をすることに意味が生まれ、この悪循環が緩和されると予想されます。

他にも、たとえば時間に余裕のある裕福なお金持ちと、日々遅くまで働く時間に余裕のない低所得者層とで、投票をするためのコストが違いすぎることも大きな問題だと思います。
お金持ちにとっては、政治について考えて投票をすることにそこまで負担感はありませんが、時間的心理的余裕のない低所得者層にとってはその投票のための労力は比較になりません。

これを是正するためにも、投票への報酬というアイディアは悪くないと思います。

最後に

ここまで、民主主義の「他の形」をいろいろと提案してきましたが、これらはどれも、多くの人には馴染みのない考えだと思います。

そして、これはとても恐ろしいことではないでしょうか?

民主主義を成立させる上で極めて重要な、民主主義の制度それ自体の是非について、我々はそもそも議論の俎上に載せることすらできていないのです。
そろそろ我々は、民主主義を進化させるための第一歩を踏み出すときなのかもしれません。

(注釈) バードさんより、「民主主義」と「民主制」を混同しているのでは? とのご指摘を受けました。
もともと民主主義は西洋の概念で、democracy (デモクラシー) の日本語訳になります。
そして日本では、democracy には「民主主義」「民主制」「民主政」の 3つの訳語が存在します。(つまり「民主主義」「民主制」「民主政」はすべて democracy の訳語)
日本では democracy という言葉を、民衆がその組織の意思決定を行う思想を指す場合には「民主主義」、制度を指す場合には「民主制」、政体を指す場合には「民主政」と訳す場合が多いですね。
ですので基本的には、このページの「民主主義」という言葉は「民主制」と読み替えていただけると幸いです。


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キング牧師
最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。


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Comments

1. バード さん
[2020/12/04 10:26:14 JST(UTC+09:00)]

民主主義と民主制を混同しておられるように見受けられる。

限られた少数者だけで社会を変えることなど、してはならないし無意味なのだ。多くの人が生きる社会だからこそ多くの人が納得し、合意できる道を歩まなくてはならない。
だからといって少数者の意見や思いを無視して良いというわけではない。多数者にとってだけ都合のよい世の中にすることは、立場の弱い少数者には生き辛い社会である。
多数の健常者にとって邪魔な車椅子も少数の障害者にとっては必要だろうし、多数の健常者からは税金の無駄遣いだと思われる障害者への福祉サービスも、少数の障害者にとっては生きる糧である。健常者が多数だからといって、その多数の健常者にだけ都合の良い社会など、少数の障害者が苦しむだけだ。大事なのは国民全体を大切に考える社会であり、それを実現するのが多数者の力というだけである。人民が主権者として大切にされる民主主義と、多数者が統治する民主制とは同じような言葉でも性格はまるで違う。民主主義と民主制とを混同してはならない。これは障害者の問題だけでなく、あらゆることに当てはまる。人民の持つ主権とは選挙権ではあるが、それと共に人間らしく生きることのできる生存権や表現の自由などの基本的人権も大切だろう。それを守っていく代表を選挙を通じて選ぶ方法が民主制と言われるものだが、民主制により、民主的に選ばれたからといって好き勝手に何をしても良いわけではない。そこに人権を守るという意識が無ければ民主主義とは呼べない。日本国憲法第九十九条に憲法尊重擁護義務が明記されているのはそういう意味なのだろう。多数意見で何もかもが決まってしまうと、少数意見は淘汰される。最終的な決定方法が多数決だとしても、その決定に少数者の意見が尊重されず、その声が無視されるようでは民主主義ではない。民主的に選ばれて少数意見を無視する政治とは民主主義ではなく、民主的専制主義だろう。少数派の意見も吟味され、その上で多数決で政治を動かすのが本来の民主主義である。

2. ちょび さん
[2020/12/04 12:16:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
拝読しました。
沢山ある選択肢の一つと考えれば"有り"であり、ふりまこ氏の思考系統は概ね理解できました
この種のルールに関してご指摘通りの欠点は常に頭を悩ますところですね。
読んでいてジョンロールの正義論を思い出しました。(かなり偏った見解です)
マキシミンルールが確実に施行される条項なら、ふりまこ氏の3つの提案もベターな選択だと思います。

強いて上げるなら…
①②③どれもある程度の相関関係があり、どれか一つが欠けると不正を防ぎにくい点があると思います。また、②の小学生では『正しく』投票するのが難しいとありますが、そもそも正しいとは何かを提示する必要があるかと存じます。(生意気言ってすみません)

因みになんですが、ボクの理想は(ファンタジーですよ)提案やディベートが出来て状況改善の干渉材料になり、その後の自立改変は出来ても、あくまでも完全AI中心の官僚制に依る民主主義で〜す。

そこに社会的な『民主主義の正しさ』あるのかなと個人的には思います。【偏狭ですが】
失礼致しました。

3. バード さん
[2020/12/04 13:30:49 JST(UTC+09:00)]

追記です。
一人一票がコスパが悪いと書かれています。どんなに政治に対して意見があっても一人一票しかなければ無意味だと。
でも誰でも平等に一人一票あることが素晴らしいことだし、正しいことなんだと思います。自分自身一票しか持ってないことにもどかしくなることもありますが、だからこそ周りの多くの人に支持を訴えたり、同じ考え方の人に投票する意味があるんですよ。
個人がたくさん政治に意見を反映させられるようになると、一握りの人の意見で世の中が決まっていくようになります。
投票に行かない人は政治に対して興味ないから、そんな人の意見なんてどうでもいいと思われますか?その人も生きてる限り社会の一員だからその人にも政治は関わってきます。
一人一票という形だからこそ、他人に自分の考え方を伝え、考え方の違う人からも理解されるように働きかけることの意味があるのだし、価値があるのだと思います。
その一人ひとりの考え方を広めていくために、一人一票という形式だからこそ民主主義が民主制によって鍛えらているのではないでしょうか?
ふりまこさんのおっしゃられるのは考え方の違う人や他人と解り合うという努力を放棄して、他者を大切にしないやり方だと思うんですよね。政治は簡単には変わらないからこそどこまでも他者と解り合うための努力が求められるのではないですか?

4. シンセきのこ さん
[2020/12/04 14:38:45 JST(UTC+09:00)]

私もずっと疑問に思っていました。なぜ投票方式などの政治制度自体を更新しようという発想にならないのか。

少子高齢化社会は、戦争直後の非常時を別として、人類がはじめて体験する社会ですから、
これまでのロジック、制度では上手くいかなくなって当然です。

「若者の投票率低下」は「少子高齢化社会」と「現行の政治制度」を掛け合わせた結果の、合理的で妥当なリアクションだと思います。

肝心なのは、民主主義の健気な理想論を振りかざし若者を焚きつける事などではなく、「政治に関心を持つこと/投票に行くこと」は「コスパもそれほど悪くは無く、合理的で妥当と言える行動」と判断できる仕組みに作り替えることだと思います。
「コスパが良く合理的な行動様式へ自然と切り替えていく」という点では人間も動物も変わらないと思います。

なのでふりまこさんのご提案はどれも議論する価値が十分にあるものだと私は思います。
否定してしまうのは簡単ですが、前例のない問題に対しアイデアを出すわけですから、粗さや穴があるのは当然ですし、大事なのは共に考えてブラッシュアップしていくことだと思います。

5. Fully Hatter さん
[2020/12/04 17:21:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
> ちょび さん
いろいろとコメントありがとうございます。
「液体民主主義」というアイディアもあって、もしかしたらちょびさんの理想に近いかもしれません。(AI は登場しないですが)
https://www.buzzfeed.com/jp/kantarosuzuki/pirate-party-and-liquid-democracy

ちなみにわたしは、圧倒的大多数の大人も「正しく」投票できていないと思っています。
そして、それはそれでいいんじゃないか、とも思っています。

6. ちょび さん
[2020/12/04 17:33:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
"考える生き物"として
それもまた、大切な
過程かも知れませんね
ありがとうございます

7. Fully Hatter さん
[2020/12/05 09:58:05 JST(UTC+09:00)]

> バードさん
『民主主義と民主制を混同しておられるように見受けられる』
ご指摘ありがとうございます。本文に追記する形でコメントしています。
今回のお話は「民主主義の実現のためのよりよい民主制の提案」でした。

『(政治という文脈においては) 限られた少数者だけで社会を変えることなど、してはならない』
これについてはわたしも今のところ同意見です。
ただ、Google や Facebook が社会を変えたように、(特に現代では) 政治の外側で「限られた少数者」が世界を変えている、ということは認識すべきだと思います。

『誰でも平等に一人一票あることが素晴らしいことだし、正しいことなんだと思います』
民主主義においては「一人一票」は一つの手段でしかなくて、「他の手段」もいろいろ検討する余地があるはず、というのが今回の主張でした。
もちろんご指摘のように、『一握りの人の意見で世の中が決まっていく』ような手段は「他の手段」として認められません。

8. Fully Hatter さん
[2020/12/05 10:24:58 JST(UTC+09:00)]

> シンセきのこ さん
同意いただきありがとうございます。

『否定してしまうのは簡単ですが、前例のない問題に対しアイデアを出すわけですから、粗さや穴があるのは当然ですし、大事なのは共に考えてブラッシュアップしていくことだと思います』

わたしのこれらの提案には数多くの批判がありますが、それらを記載するとかなり冗長になってしまうため、あえてこのページではそのあたりには触れませんでした。
もし気になる粗さや穴がありましたら、コメントで指摘いただけるとそれについてのわたしの見解を述べさせていただきます。

ちなみに、よくある批判は以下のようなものです。

■ 「一人複数票」への批判
< 「不正」に弱い >
「一人複数票」は、「一人一票」よりも一人一人により強い権利を付与することを意味するが、それは言い換えると、市民に嘘を吹き込んだり騙したりすることで得られるメリットも大きくなることを意味する。
「一人一票」であれば、数人を騙したとしても数票の獲得にしか結びつかないが、それが「一人複数票」になった際にはその数人の力がより大きな影響力を持ち得る。

■ 「子どもの投票権」への批判
< 親と子の利害は一致するか? >
親が子どもの投票を代理するということは「親と子の利害が一致している」ことが前提となるが、この前提は間違っている可能性がある。
また、父親と母親で意見が異なる場合や、両親が離婚したときの対応など、具体的な方策に落とし込むために考慮すべき事項は多い。

■ 「投票した人にお金をあげる」への批判
これについてはまともな批判が見当たらず、もし思いついた方がいればぜひコメントください。

9. バード さん
[2020/12/05 10:47:23 JST(UTC+09:00)]

GoogleやFacebookが世界を変えたというのはその通りであるし、そこは否定しません。あくまでも政治が一握りの人に決められるのがおかしいのだと思います。

現行の投票制度で、投票率は国民全体の五割前後でほとんどの人が投票に行かない現状で新しい在り方を考えることそのものが時期尚早な気がします。きちんと投票制度が十全に機能して初めて投票の在り方を議論するなら話は解りますが、そうなっていないところで今の民主制や民主主義を疑うのはお粗末な意見と言わざるを得ないです。

10. Fully Hatter さん
[2020/12/05 12:18:11 JST(UTC+09:00)]

> バードさん
わたしの「投票した人にお金をあげる」のアイディアによって投票率の問題は解消できる気がしますが、どう思いますか??

11. バード さん
[2020/12/05 12:39:52 JST(UTC+09:00)]

投票する事に報酬を与えるということは、投票して政治に参加するのが当たり前の権利であり、自分の生活に密接に関わる政治に自分が参加すること、それそのものが自分の利益に繋がるものであるという本質から目を反らすことに繋がります。
「投票したら金もらえるけぇ参加しとこう」っていうのは、政治に参加する事だけでは利益足り得ないと思わせるやり方な気がします。

大切なのは、投票しない人に投票する事の価値、政治に参加する事の価値、他人任せではない主権者としての意識を共有する方策でしょう。その努力から目を背け、簡単に社会を変えようとするなど甘ったれた戯れ言ですね。

12. バード さん
[2020/12/05 12:41:57 JST(UTC+09:00)]

かなりキツい言い方になってしまいました。ごめんなさい。

13. Fully Hatter さん
[2020/12/05 12:54:38 JST(UTC+09:00)]

> バードさん
本文中の以下の 2つの問題についてはどう思いますか?

問題①
> 日本の民主主義では一票でも多く得票した政党が勝つので、たとえば若者と高齢者という 2集団があり、それぞれの集団を支持する「若者党」、「高齢者党」があったとすると、いまの日本では高齢者の方が人口が多いので、たとえ若者が全員「若者党」に投票したとしても、勝つのは結局は「高齢者党」になります。
> この現実において、若者にとっては投票行為に何の意味もないので、若者の投票率は下がり、それと同時に「高齢者党」の投票比率が上がり、ますます政党は高齢者に向けた政策を打ち出すようになる、という悪循環が発生します。

問題②
> たとえば時間に余裕のある裕福なお金持ちと、日々遅くまで働く時間に余裕のない低所得者層とで、投票をするためのコストが違いすぎることも大きな問題だと思います。
> お金持ちにとっては、政治について考えて投票をすることにそこまで負担感はありませんが、時間的心理的余裕のない低所得者層にとってはその投票のための労力は比較になりません。

14. バード さん
[2020/12/05 14:04:09 JST(UTC+09:00)]

高齢者だけ、若者だけの政党などあり得ません。
それぞれの政策の違いはあったとしても、一つの政党で高齢者に向けた政策と若者に向けた政策をやれば良いだけの話です。それをしてない政党に対して「若者向けの政策はどうするのか?」、「高齢者の支援はどうするのか?」という風に国民の側から要求を突き付けることも大事でしょう。政治家に任せて国民の側から声を上げずに人任せでは、それこそ民主主義の否定に繋がります。

収入や生活で政治を考える時間が無いことも問題ですね。だから、そういうことも考えられる時間的、経済的な問題も解決していかなくてはならないですね。
だからこそ、多くの人が政治について考えられる時間が持てるように働き方や賃金面での改善をしていく必要もあります。
そのためにも最低賃金を上げる運動や残業の是正、福祉サービスの向上などをこちらから要求していくことも大切です。
日々の生活の中で政治や選挙があるわけだから、どちらも車の両輪で繋がってるものです。
というか、国民の暮らしを良くしていくため(民主主義)に政治があるんだから政治なんてそこをどうやって支援するかということなんですけどね。
言ってしまえば、民主主義のための民主制による選挙ですけど、その民主制による選挙をしていくために他人に自分の考え方を自由に伝えたりする民主主義が必要になってくるわけで、民主主義が民主制を鍛えるし、民主制が民主主義を鍛えることにもなるわけで、どちらも繋がってるんだろうと思いますけどね。

15. Fully Hatter さん
[2020/12/06 15:11:26 JST(UTC+09:00)]

> バード さん
まず最初に、(貴重な時間を使って) いろいろなご意見をいただきとても感謝します。
わたしの考え方とバードさんの考え方は (根本から) 大きく違っているはずで、それなのにも関わらず、このようにコメントをいただけてとてもありがたいです。
バードさんはまさに「民主主義の理想」をベースに思考を組み立てられているとお見受けしますが、とても勉強になります。

バードさんの一連のコメントを読む限りでは、バードさんもわたしも目指すは「民主主義の理想」であって、わたしは民主制のルールを変えることで理想に近づけるのではないか、一方でバードさんはそのルールの中でもっとできることがあるのではないか、という、切り込む観点の違いがあるだけで、わたしもバードさんも向いている方向としてはそこまで違わないんじゃないかな、と思いました。

16. ひどう さん
[2022/08/01 19:37:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
全体的に極端だけどさすがにここは極端すぎると思う。

*

『日本の民主主義では一票でも多く得票した政党が勝つので、たとえば若者と高齢者という 2集団があり、それぞれの集団を支持する「若者党」、「高齢者党」があったとすると、いまの日本では高齢者の方が人口が多いので、たとえ若者が全員「若者党」に投票したとしても、勝つのは結局は「高齢者党」になります。
この現実において、若者にとっては投票行為に何の意味もないので、若者の投票率は下がり、それと同時に「高齢者党」の投票比率が上がり、ますます政党は高齢者に向けた政策を打ち出すようになる、という悪循環が発生します。』

『投票をした人にお金を配ることで、若者にとっても投票をすることに意味が生まれ、この悪循環が緩和されると予想されます。』

*

そもそも例えが二元論的で勝ち負けは選挙の本質ではない。
ここの政党に何パー、ここに何パーみたいな民意を測る手段でしょ。投票率と投票先の数と投票先それぞれの期待値によっても健全な民主主義に必要な投票率は変わるけど

17. Fully Hatter さん
[2022/08/01 21:41:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
この例は

「制度上有利な多数派は投票行為によるメリットが大きい (少数派はただ投票しても割合を確保できない)」

と言っているだけです。

現状の制度は、ただでさえ強い多数派をさらに有利にする仕組みになっており、その偏りを投票時のお金のインセンティブで補えるのでは、という主張です。

18. mia さん
[2022/08/04 18:07:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
こんにちは。選挙実施に多くのお金がかかるので、別の形のインセンティブか、未投票は損する方法もありますね。そもそも選挙に行かない人を想定して、制度設計する必要もありそうです。ちなみに現行は若年層に多数派与党推しが多いようなので、投票率が増えて、少数派野党推しが巻き返せるのか不明です

19. Fully Hatter さん
[2022/08/04 18:16:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
そうですね。

そもそもですが、投票率は高くないほうがよい (バカに投票させるとろくな結果にならないので、一定数が投票をしない現行の状況はある意味では政治的理想形) というのが学説上かなり有力な見解のようなので、政治は奥が深いですね。

20. mia さん
[2022/08/04 18:18:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
それでいい気もしますね。

プロパガンダ防止弁があれば、なおよきそうです。

21. Fully Hatter さん
[2022/08/04 18:26:00 JST(UTC+09:00)]

(Twitter のコメントより)
一応補足しておくと、投票率が低すぎると組織票が生きやすくなるので、少数派が不利になります。

上記の言及は、投票率が低すぎる状況はもちろん良くないのですが、投票率が高すぎる状況もまた、あまり歓迎されたものではないですよ、という意味です。

22. 通りすがりその1 さん
[2023/03/07 22:21:26 JST(UTC+09:00)]

ふと、「世間は悪人が得をする」「善良な人間は少ない」「気の触れた人間が存外多い」等々考えることがあり
気まぐれに「民主主義は」と検索エンジンに入力したところ、「民主主義は正しいのか」という候補が出たので結果表示したところ
このページへたどり着きました。

民主主義の是非もですが、今の日本は戦後のペナルティによる弱体化政策がいよいよ実りつつあるように見受けられます。
ちょっとこのページの趣旨からずれるかもしれませんが…
果たしてこのままでいいのだろうか?というのをどれだけの人がひしと感じているのか…
多くの人は自分が生きるのに必死で、国の行く末に構う余力がないように思われます。
少子高齢化はほぼ放置、近い将来日本は本当に消滅しかねない。
しかし国民の大半はそれについておそらくどうでもいいと思っており
恐ろしいことに国の恩恵というものを理解していないような…

私もおぼろげな危機感を感じてはいながら、じゃあ具体的に何をすべきか今のところわかっていません
ただ思考停止はせずに、よりよくするために何が必要なのか、思慮を重ねていかねば、と思っています。
そしていつか方策を見いだせればよいのですが…
その一つとして、今の「あり方」を改めて考えねば、と思う次第です。

23. Fully Hatter さん
[2023/03/09 19:45:08 JST(UTC+09:00)]

> 通りすがりその1 さん
コメントありがとうございます。

わたしは、「日本を憂う」という価値観それ自体が近い将来消滅すると予想しています。
現代の「国」という概念が、もうそろそろ限界を迎えていると考えています。

具体的にいうと、近い将来、すべての人類が自分の国籍を選べる世界が到来するのではないかな、と。

我々は日本の法律を遵守していますが、考えてみればおかしなことです。なぜなら我々は、一度たりとも、日本の国籍を自らの意志で選んでいないのですから。

「民主的な国家」という概念も、同様に失われゆく運命だと思います。誰もが国籍を自由に選べる世界では、誰からも選ばれないような非民主的な国家は自然に淘汰されていくからです。

我々が「国」から自由になれる日は、きっとそう遠くないはずです。

詳細はこちらの本文とその一連のコメントをご参照。

あなたは本当に「大人」ですか?
〜我々が人間として生きるために〜
https://furimako.com/world/grown-up

24. 通りすがりその2 さん
[2023/09/18 23:39:22 JST(UTC+09:00)]

>人類を大きく「一般大衆」と「それ以外 (特権階級、公務員、富裕層など)」とに分けたときに、その大多数は「一般大衆」であって、その大多数に大きな決定権を持たせる政治体系が民主主義です。
我々「一般大衆」に大きな力をもたらす政治体系について、我々が「正しい」と評価することはとても自然なことでしょう。

やはり、普通の理解だと民主主義(民主制?)とやらはそのように見えるんですよね。
自分達(=一般大衆)が世の中の物事を決めている気になれる民主制。
民主制というシステムを考案した人達は、意図してそのような誤解をするような仕組みを生み出したのだと私は考えています。
歴史の上では民衆が民主化運動によって勝ち得たことで生まれたことになってますが。

現実は、今も昔も変わらず、多くの資本を有する者が世の中を支配している。
自分たち大衆が世の中を動かしている気になっているけれど、実態は衆愚政治。
一般大衆は自分達の意思で物事を選んでいると思い込んでいるけれど、その「意見」や「意思」とやらのほとんどはメディア(新聞、テレビ、雑誌)などの媒体によってある程度コントロールされている。
それこそ、選挙の結果を制御するくらいには。
ただ、ネットの発達で、今まで権力でひた隠しにし、ねじ伏せてきた真実が少しずつ暴かれ始めているのも確か。
上級国民への忖度しかり、旧統一教会の政界癒着問題しかり、舞妓さん問題しかり、ジャニーズ問題しかり。
現支配者層の多くが寿命で死に絶え、世代交代する2~30年後には、さらに多くの闇が暴かれ、透明性の高い、今よりもっと公正な世の中になっていると期待します。
ともあれ、世の中、やはり力があるのは資本です。お金です。
お金の力には大多数の人間は抗えない。
なのでそれほどドラスティックには世の中が良い方向に変わるとも思えない。
自分達一般大衆が世の中を治めているのだという民主制という名の白昼夢はいつまでも覚めないのかもしれない。

25. Fully Hatter さん
[2023/09/20 16:45:27 JST(UTC+09:00)]

> 通りすがりその2 さん
コメントありがとうございます!
基本的には異論はありませんが、

『多くの資本を有する者が世の中を支配している』

をもう少し解像度高く表現すると、

『メディアのように一般大衆に視覚情報を提供できる組織は民衆の印象操作・思考誘導が可能なので、メディア組織の偉い人たちやメディアへの影響力を持つ国・大企業・資産家は政治的な文脈では世の中への影響力を持ち得る』

ということだと思います。
これは "政治的な文脈で" という強い前提条件がベースになっているので、実際に「世の中の支配」とは厳密には少し違う気がします。

GAFA のような多国籍企業が政治とはまったく無関係な方法で世界を変えてきたように、世の中を変える方法は政治以外にも無数にあります。(Google は元々はほとんど資産のない小さな会社でした)
ウィキリークスは多くの資産を持っていませんが、世界中に大きな影響を与え続けています。
また、たとえいくら資産を持っていたとしても藤井聡太さんに将棋で勝つことはできません。

まとめると

・政治以外にも世の中を変える方法はいくつもあり、たとえばテクノロジーや論文、哲学などはその一例
・政治以外にも様々な世界があり、"資産" が支配しうる領域は実はかなり限定的

ですかね。

どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。


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