民主主義(民主制) は正しいと思いますか?
おそらく、多くの方は「民主主義は正しい」と思っていると思います。
ヒトラーのような独裁国家やソ連のような社会主義国家よりも、現代の民主的な数多くの国々の政治形態の方が優れている、そう考えていると思います。
わたしは今まで生きてきた中で、「民主主義」それ自体の正当性を疑う人に出会ったことがほとんどありません。
これほど政治について問題が山積みなのにも関わらず、多くの人は「民主主義」それ自体を決して疑いません。
それどころか、「民主主義」を汚すような発言に対しては、我々は驚くほどの拒絶反応をみせます。
なぜ「民主主義」は絶対的に正しいとされているのか?
本当に「民主主義」はかけがえのないものなのか?
何か我々が見落としている点はないのか?
今回のテーマはそのあたりになります。
民主主義の欠点
議論を始める前にまずは、民主主義の欠点は何なのかを明らかにしましょう。
民主主義に対してのよくある批判は以下ですね。
- 民衆なんてみんなバカばっかりなんだから、民衆が判断したらろくな事にならない
- 多くは多数決で決まるので、多数派が常に有利になる (少数派が切り捨てられがち)
- 真に素晴らしい政治家よりも、民衆受けがいいだけの無能な政治家が得票数を獲得しやすい
なぜ民主主義は「正しい」のか?
なぜ民主主義が正しいかは、ある程度シンプルな問いだと思います。
人類を大きく「一般大衆」と「それ以外 (特権階級、公務員、富裕層など)」とに分けたときに、その大多数は「一般大衆」であって、その大多数に大きな決定権を持たせる政治体系が民主主義です。
我々「一般大衆」に大きな力をもたらす政治体系について、我々が「正しい」と評価することはとても自然なことでしょう。
我々が見落としていること
民主主義が神聖化されてるこの現代で、民主主義を批判することはほとんどタブー視されています。
そしてわたしは、ここには大きな問題があると思っています。
価値のある何かを守ることはもちろん大切なことですが、なぜそれに価値があるのか、何か見落としはないのか、常に検証し続けることは重要なことだと思うからです。
『気を抜くとヒトラーのような独裁国家になるのではないか?』
のような心配もあるかもしれませんが、日本のように海外の国に多くを依存し、国際的な協力関係が極めて重要な国において、海外の国々や国連やあらゆる組織の監視の目をくぐり抜けながら独裁国家を築くことはそう簡単なことではありません。
それよりも、現行の民主主義が絶対視されている理由は他にあるのではないでしょうか?
たとえば、政治的な力を手にするためには現行の民主主義のルール上で勝ち上がらなければなりませんが、それは言い換えると「政治的な権力を持つすべての者は現行の民主主義のルールで勝ち上がっている」ということです。
現行のルールに最も適合した集団のみが常に意思決定を行うため、現行のルールには (それがどんなに愚かなルールだったとしても) 非常に強い惰性が働くことになります。
ルールが間違っていると気づいたとしても、そのルールを変えてしまうと現政権に不利に働く可能性が高いからです。
この点は、民主主義の盲点ともいえる大きな弱点といえるでしょう。
民主主義の「他の形」の提案
上記のように、我々の社会を形作るルールそれ自体を変えることはとても難しいと思われますが、まずはその第一歩として、ありえるとしたらどのような「他の形」があるのか、いくつか具体例をご紹介しようと思います。
他の形①: 一人複数票 (1人1票制の代替)
たとえば日本の民主主義のベースにもなっている1人1票の投票制度ですが、この制度自体は絶対的なものではありません。
むしろわたしは、民主主義を成立させる上では「1人1票の投票制度」には大きな問題があると思っています。
個人的に最も気になっているのは、投票という行為があまりにもコストパフォーマンスが悪すぎる、ということです。
どんなに一生懸命政治について勉強し、どこに投票すべきか熟考したとしても、我々に与えられているのはたった 1票です。
その分の時間をたとえば仕事や勉強や自己投資に当てることと比較してみれば、投票がどれほど無意味に見えるかは想像に難くないと思います。
その問題を解消するひとつのアイディアとして、一人複数票の投票制度 (Quadratic voting) が考えられます。
これは、たとえば 1人に 100ポイントの権利を与え、そのポイントを自由に好きな政党や候補者に投票する、というものです。
そして、たとえばある政党に複数ポイントを投票する際には、2票投票するためには 4ポイント、3票投票するためには 9ポイント、4票投票するためには 16ポイント、というように、多くの票を入れるために必要なポイントが 2乗の重み付けとなります。
これにより、たとえば自分が少数派だったとしても、その少数派を支持する政党に 100ポイント (= 10票) を投票することができ、投票結果に民意をより強く反映できる可能性があります。
他の形②: 子どもの投票権 (シルバー民主主義の緩和)
もう一つの問題として、たとえばこれから何十年とその社会で生きていく若者と寿命が残り数年の高齢者とで、どちらも未来を決定するためのまったく同一の権利を持っている、ということが挙げられます。
ご存知の通り現代の日本は少子高齢社会なので、これはより大きな問題として現実世界に影響を与えています。
高齢者にとって幸せな社会を作ろうと、若い世代への負担を増やして未来への投資を控えていたら、未来の日本がどのようになっていくかは誰の目にも明らかかと思います。
もちろん、人によって投票権の大きさに傾斜をつけることには大きな問題がはらんでいますが、その一つの是正策として「子どもへの投票権の付与 (ドメイン投票方式)」は俎上に乗せるべきアイディアだと思っています。
もちろん、赤ちゃんや小学生が「正しく」投票することは難しいので、ある程度の年齢になるまではその親が代理で投票をすることになります。
これにより、これからの未来を担う世代の民意を投票結果に反映することができ、少子高齢化へのひとつの対策にもなりえます。
他の形③: 投票した人にお金をあげる (投票コストの削減)
最後に、投票制度をより望ましい形にするためのちょっとしたアイディアとして、投票をした人には報酬(お金) を与えるべきだと思います。(投票をした人にその場で 1万円を手渡すようなイメージ)
日本の民主主義では一票でも多く得票した政党が勝つので、たとえば若者と高齢者という 2集団があり、それぞれの集団を支持する「若者党」、「高齢者党」があったとすると、いまの日本では高齢者の方が人口が多いので、たとえ若者が全員「若者党」に投票したとしても、勝つのは結局は「高齢者党」になります。
この現実において、若者にとっては投票行為に何の意味もないので、若者の投票率は下がり、それと同時に「高齢者党」の投票比率が上がり、ますます政党は高齢者に向けた政策を打ち出すようになる、という悪循環が発生します。
投票をした人にお金を配ることで、若者にとっても投票をすることに意味が生まれ、この悪循環が緩和されると予想されます。
他にも、たとえば時間に余裕のある裕福なお金持ちと、日々遅くまで働く時間に余裕のない低所得者層とで、投票をするためのコストが違いすぎることも大きな問題だと思います。
お金持ちにとっては、政治について考えて投票をすることにそこまで負担感はありませんが、時間的心理的余裕のない低所得者層にとってはその投票のための労力は比較になりません。
これを是正するためにも、投票への報酬というアイディアは悪くないと思います。
最後に
ここまで、民主主義の「他の形」をいろいろと提案してきましたが、これらはどれも、多くの人には馴染みのない考えだと思います。
そして、これはとても恐ろしいことではないでしょうか?
民主主義を成立させる上で極めて重要な、民主主義の制度それ自体の是非について、我々はそもそも議論の俎上に載せることすらできていないのです。
そろそろ我々は、民主主義を進化させるための第一歩を踏み出すときなのかもしれません。
(注釈) バードさんより、「民主主義」と「民主制」を混同しているのでは? とのご指摘を受けました。
もともと民主主義は西洋の概念で、democracy (デモクラシー) の日本語訳になります。
そして日本では、democracy には「民主主義」「民主制」「民主政」の 3つの訳語が存在します。(つまり「民主主義」「民主制」「民主政」はすべて democracy の訳語)
日本では democracy という言葉を、民衆がその組織の意思決定を行う思想を指す場合には「民主主義」、制度を指す場合には「民主制」、政体を指す場合には「民主政」と訳す場合が多いですね。
ですので基本的には、このページの「民主主義」という言葉は「民主制」と読み替えていただけると幸いです。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。