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「自由意志」なんて存在しないと思うあなたへ

〜「量子力学」の見地から、我々が完全に自由であることを証明しよう〜

「自由意志」をご存知でしょうか?

「自由意志」とは、哲学の世界などでは非常に有名な、物理学や脳科学の領域にも関わってくるとてもおもしろいテーマです。

たとえばあなたは、休日の朝に目を覚まし、今日は何をしようか、などを考えると思います。

天気もいいし外にお散歩に行こうか。
それとも本屋さんに行って本でも読もうか。
あ、久しぶりに、友だちとどこかに遊びに出かけるのもいいかもしれない。

などと考えるかもしれません。

多くの人は、なんの疑問もなくこのような選択をしています。
そして我々は、これらの選択肢の中から「自由に」自分の行動を選んでいると思っています。

果たしてこれは本当か? というのが今回のテーマです。

「自由意志」への疑問

『わたしはいつも自分の行動は自分で決めている! だからもちろん、自由意志もある!』

そう思いますか?

たとえば、あなたに倒さなければならない敵がいたとしましょう。

その敵はあなたの 100m先であぐらをかいて座っています。
そしてふとあたりを見渡すと、丁度いい大きさの大砲がありました。

このような状態で、もしあなたが高校生レベルの数学的知識があれば、この大砲をどの角度で、どのスピードで発砲すればその敵に命中させられるかを計算することができます。

(実際には、砲弾の形状によって発生する空気の流れや摩擦、コリオリ力などの影響もあるため、本当はそう単純ではありませんが、これは例なので許してください)

何が言いたいかというと、我々は「現在の状況から未来を計算できる」ということです。

物を落とすと地面に落ちて壊れる、ドライヤーをあてると髪が乾く、など、この世界は因果関係で溢れています。

そうであるならば、もし我々がすべてを計算しつくしたのならば、未来は完全に予測できるのではないか? という疑問がでてきます。

もし未来を完全に予測できたとしたらどうなるでしょう?

もしそうなれば、自分がこれから何をするかもすべて計算できることになります。

今日は何をしようか考え、読書をしようかお散歩をしようか悩み、結局はお散歩をすることに決める、という未来もすべて計算できることになってしまいます。

そう考えてみると、我々が当たり前のように受け入れている「自由意志」とは、もしかしたら我々が勝手に頭の中で作り出した幻想なのかもしれない、とも思えてきます。

我々は、みんな最初から決められたレールに沿った行動をしているだけだということになるからです。

前準備

以上が「自由意志」についての概要でした。

ここまでで、どうでしょうか?
この世界には「自由意志」なんて存在しないのかも、と不安になりましたか??

ここからが本題です。
Fully Hatter が、この世に絶望しかけているあなたのために「自由意志」の存在を証明してあげましょう。

ここでキーになるのは、物理学の「量子」という概念です。

「量子」とは、簡単に言うと非常に小さい世界のことです。

もしかしたらあなたは、この世の物質はすべて「原子」という小さい粒でできている、と聞いたことがあるかもしれません。
「量子」の世界は、その「原子」の粒のような小さい粒たちが主人公です。

我々の世界は「量子」でできていますが、そのふるまいはあまりに奇妙で、我々の直観に反するどころか、専門家ですらその振る舞いを (予測はできますが) 理解できていません。

たとえば「量子」の世界では、あらゆる粒は「粒」でありかつ「波」として振る舞います。
ちょっと何言ってるか分からないと思いますが、「量子」は明らかに「粒」 (これ以上分割できない最小単位が存在) ですが、同時に同心円状に広がったり干渉縞ができたりする「波」の性質も持ちます。

他にも、これもちょっと何を言ってるか分からないと思いますが、「量子」は絶対通り抜けられないエネルギー∞ の壁を通り抜けることができます。(量子トンネル効果)

「量子」の世界の奇妙な性質のすべてをここで示すことはできませんが、「自由意志」に関わるいくつかの特筆すべき特徴を以下にご紹介します。

量子の世界 「重ね合わせ状態」

ここでの最も重要な量子の性質は「重ね合わせ状態」です。

量子の世界の小さな粒たちは、コインの表裏のような 2つの状態のうちのどちらかをとる場合があります。

そのような場合に量子は (驚くべきことに) 表と裏のどちらの状態も合わせ持つ「表50% 裏50%」のような状態を保持することができます。(このような状態を「重ね合わせ状態」と呼びます)

これは、我々がコインを投げたあとに手で伏せて、コインの表裏のどちらが出たかを隠している状態とは大きく異なります。
(我々の直感では、どちらの場合も表が出る確率は 50% なので、本質的には同じことのように思えますが、全く違います)

たとえば、伏せた手を開けてコインが「表」だった場合、タイムマシンに乗って手を開ける直前に戻ったとしても、そのコインの結果は変わらず「表」ですが、量子の世界ではそのような場合に「裏」にもなりえます。

また、たとえばコインの表裏の色が白か黒かだった場合、コインを投げると白か黒かにしかなりえませんが、量子の場合は結果を計測するまでは「グレー」の色となります。
(あとは、我々の直感では認識できない「負の確率」がありえたり、など、他にも違いは数多くあります)

量子の世界「不確定性原理」

もう一つ、重要な量子の性質に「不確定性原理」があります。

我々は、手に取れるすべての物は計測できると思っています。
クローゼットの中に何着の服があるか、この時計の重さは何グラムか、あの新幹線は時速何キロメートルで走っているか、などはもちろん、この地球自体の重さすらも簡単に計算可能です。

ですが、それらを構成する原子という小さい粒については、実は正確に計測することはできません。

たとえば重さを測るためには、その物体を天秤に乗せる必要があります。
その物質の色を調べるためには光を当ててみる必要があります。

通常、重さを測ったり光を当てたりしたくらいでは物は壊れないため、我々は何の違和感もなくそのような方法で計測してきたのですが、「原子」のような極めて小さい粒の場合は状況が全く異なります。

「原子」はあまりに小さくて軽いため、ほんの少しの光を当てるだけでも、当てる前後でその粒の状態が大きく変わってしまうのです。

これらは、極めて厳密な数学的な記述により、その状態を正確に計測することは原理的に不可能であることが分かっています。

我々を構成する要素それ自体が、そもそも計測することすらできないのです。

序論

『 で、その量子とやらと「自由意志」に何の関係があるの? 』

もしかしたら勘の良い方は気づいたかもしれませんが、「自由意志」うんぬんの議論をする以前に、もうこの時点でいくつかの問題は解消されています。

まず、我々の運命はもうすでに決まっている、のような決定論的な考えは量子的に 2つの意味で間違っています。

第一に、我々を構成する量子的な要素は完全に確率的な振る舞いをするので、未来を正確に予測することは不可能です。(先ほどの量子の「重ね合わせ状態」を思い出しましょう)

第二に、もし量子が確率的な振る舞いをしなかったとしても、そもそもそれを正確に観測することすらできないので、未来を予測する以前の問題です。(量子の「不確定性原理」を思い出しましょう)
我々は未来どころか、いまこの瞬間すらも原理的に認識できないのです。

「自由意志」の存在証明

これらの性質により我々の自由はほとんど担保されている (我々が「不自由」であることの証明は不可能) といえますが、最後にダメ押しとして「自由意志」の存在を証明しておきましょう。

我々の「自由意志」は、実は量子の世界に存在します。

我々は日々、A か B かの判断をしていますが、これらはすべて量子的に成されています。

洋食屋さんで「ごはん」か「パン」かを選ぶ場面を例に、そのメカニズムを時系列順にご説明しましょう。

洋食屋さんでの注文の流れ
① 「ごはん」か「パン」か悩む (脳内で「ごはん 50% パン50%」の量子重ね合わせ状態を作る)
② 「意志」の力で「ごはん」を選択 (この時点ではまだ現実世界には何も影響を与えず、量子状態も「ごはん50% パン50%」のまま)
③ 店員さんに『ごはんでお願いします』と発声する (② で選んだ「ごはん100%」の量子状態に確定)

この ① で量子状態を作るのがとても重要です。
これにより我々は、「ごはん」か「パン」かを過去のいかなる因果も超えて自由に選ぶことができます。
量子の性質により、「ごはん」を選ぶ可能性も「パン」を選ぶ可能性もどちらも担保できるからです。(量子の「重ね合わせ状態」を思い出しましょう)
さらにさらに、その性質上、観測によりその判断を事前に予測することはできません。(量子の「不確定性原理」を思い出しましょう)

また、② の「意志」の力を使用した時点では現実世界には何も起こらないこともとても重要です。
我々の「意志」は過去のいかなる事象からも自由であり、その「意志」の力は常に未来にのみ影響を与えるのです。

③ では、元々「ごはん50% パン50%」だった確率を「意志」の力で「ごはん100% パン0%」のように捻じ曲げると統計上の不整合が起こりそうですが、この意志の力は局所的かつ統計的な影響を一切与えない、という特殊な性質があるので、そのような問題は発生しません。

終わりに

以上が「自由意志」の存在証明でした。

え? これじゃ証明になってない、ですって??

はい、その通りです。
これは証明になっていません。

ですが、わたしが示したかったことはこれで十分です。

実は、このページの本当の意図は「自由意志」が存在しうる可能性を示すこと、そして、哲学のような自然言語をベースとする枠組みでは「自由意志」の答えには到底辿り着けないことを示すことでした。

もしかしたらあなたは、辛いことがあったときにこんなことを考えたりするかもしれません。

幸せって何なのだろうか?
人生に意味なんてあるのだろうか?

でもそんなときにこそ、我々は立ち止まらなければなりません。

もしかしたらそれは、そもそもあなたが問うべき命題ではない可能性があるからです。

自分の人生に「意味がある」とした場合と「意味がない」とした場合、どちらがあなたにとって幸せでしょうか?

もしそれが明らかであれば、あなたはもう何も考える必要はありません。

なぜならば、絶対的な正解のないこの世界で、このどちらが正しいかは誰にも分からないからです。
もちろん哲学の世界にも物理学の世界にもその答えはありません。

そうであるならば、あなたのやるべきことはただひとつ。
そこに意味があると信じて未来へと突き進む。ただそれだけではないでしょうか。


この主張に賛同する方は、家族や友人に LINE でシェアしたり、SNS に流してみましょう。

キング牧師
最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。


Comments

1. 無極 さん
[2020/08/11 22:49:24 JST(UTC+09:00)]

こんばんは。Twitterで散々「自由意志なんて無い」と言っていた相互です。
というわけで反駁させていただきます。まず、前半の「量子の不確定性」は古典的な「強い」決定論、つまりラプラスの魔に代表される完全決定論の否定になります。ここで大事なのが、「決定論と自由意志の関係」です。
確かに、完全決定論は原則として自由意志の存在を否定します(両立主義というのもありますが、完全決定論を否定する立場は私とFully Hatterさんで共通しているので置いておきましょう。)。
しかし、完全決定論の否定は、「自由意志を否定する要素を1つ消した」というだけであり、したがって自由意志の証明に一切寄与しません。1+1=2の証明に際して、「1+1=100ではない」といちいち書かないのは、「反証を潰すこと」は「証明のスタート地点」或いは「証明後の補強」であって「証明そのものとは一切関係ない」からです。
現代物理学では全くと言っていいほど支持されていないとはいえ、完全決定論を否定しないことには始まらないので必要なことだとは思いますが、あくまでそこがスタート地点ですから、自由意志を担保しているわけではありません。
続いて、「量子重ね合わせ」ですが、単純な話で、「猫の生死を決めるのは観測したという事実か、あるいは別の何かであって、我々ではない」ということです。波動関数に関しても同様で、それは我々が決めることではありません。我々が決めるのであれば量子エラーなど起こりませんからね。
後半の「パン・ご飯の選択」に関しても、それらは我々が決めるのではなく、確率的な分布となっています。しかも、一連の動作が意識領域の作業となっているので、脳という物理的機構の出力にしかなりません。
この思考実験は自由意志の論証として量子論の標準解釈であるコペンハーゲン解釈の意思説と共通点がありますが、これは科学理論としては理論的根拠の不足という不備が指摘されており、また、量子エラーなどの意思と無関係に起きる量子決定が意思説の否定材料となっています。(まあ、私は「意思が決定してる場合もありえるな」とは思うので反証になっているとは考えませんが、どちらにせよ意志の自由を担保するものではありません。)
また、「意志の力は局所的で統計的な影響を与えない」とありますが、それは単に「意志が統計的に示される性質を持っており、その根拠が脳にあるだけ」とも言えますし、何より論者の方から根拠もなく「いや、こういう性質だから」とするのは「バリア!」「バリア効かないやつだから」のような稚拙さを感じます。「自然言語によっては分からないんだ」と示すにしても自ら論の質を落としては示せませんし、非科学的な態度です。
また、締めの考え方は「パスカルの賭け」の応用ですね。その考え方は私も実践していますが、他方で「やりたくて楽しく哲学をやっている」身としては無粋に思います。好きでやっているのですから、そのような倫理的判断を哲学として持ち出すのは冷笑主義的なマウンティング以上の意味を持ちません。それは哲学に疲れた人が思い詰めないためには非常に有用なものですが、楽しんでいるうちは「大きなお世話」です。したがってそれは別の話として出すべきものであり、「自由意志があるか否か」という哲学の場で出すのは不適当かと考えます。

2. Fully Hatter さん
[2020/08/11 23:45:11 JST(UTC+09:00)]

> 無極 さん
今回の議論において重要な多くの点について、コメントありがとうございます。
ひとつひとつご回答します。

『無極さんの反論1: 「完全決定論」の否定は自由意志の担保になっていないのでは?』

反論内容自体についてはわたしも同じ意見で、「完全決定論」の否定は自由意志の担保にはならないと思っています。
ですが、わたしが本文中で言いたかったことは、我々の構成要素が確率的 (量子重ね合わせ状態) であり、それらが原理的に観測不可能 (不確定性原理) であるこの現実で、自由意志を否定することはかなり難しいだろう、ということです。
過去の偉大な哲学者たちの「自由意志」についての議論をすべて完全に押さえているわけではありませんが、これらの問題を回避しながら自由意志を否定しうる論拠があるのであればぜひ教えていただきたいです。

『無極さんの反論2: 波動関数を収束させるのは我々ではないのでは?』

これについても、反論内容自体についてはわたしも同じ意見です。
ですが、わたしの言う「意志」は波動関数を収束させません。(洋食屋さんの例の ② で、この時点では現実世界には何も影響を与えないことを強調しています)
なんらかの影響により波動関数が収束した際の最終的な「出目」をコントロールするのが「意志」の力になります。

『無極さんの反論3: 量子論の解釈問題は (理論的根拠が足りなすぎるため) 科学理論としてはあまりにお粗末では? 』

これについてもまたまた、わたしも完全に同じ意見です。
わたしが言いたかったことは、「自由意志」の可能性が示されており、その可能性を否定できないのであれば、「自由意志」についてどんな議論をしようと意味がない、ということです。
わたしがここでやっていることは「科学理論の構築」ではなく「可能性の示唆」です。

『無極さんの反論4: 「意志の力は局所的で統計的な影響を与えない」という表現はズルいのでは?』

ズルくありません。
これは物理学的なアプローチです。
この世に絶対的な真理はありませんが、物理学ではそれに「仮説」という道具で立ち向かいます。
ひとつひとつ根拠を積み上げて理論を構築するその他の科学とは異なり、物理学においては根拠の数にあまり意味はありません。
いまだに反証材料が見つかっていない、という事実のみがその「仮説」の根拠となります。
ニュートンの運動方程式や万有引力やアインシュタインの相対性理論もすべて、わたしのこの主張と同じ「仮説」です。

『無極さんの反論5: 哲学を否定するのは哲学者に失礼では?』

まず大前提として、わたしは哲学は「害」になりえると思っています。
そして、哲学科の教授の方などの話を聞く限りでは、このわたしの考えを否定する見解には今まで出会っておりません。(特に哲学について非常に詳しい人であるほど、その有害性を訴えている印象です)
現実においてメリットがそれほどないにも関わらず、デメリットが計り知れないものについて注意喚起を行うことは悪いことだとは思いません。

ただ、もし無極さんの気分を害したのであれば、それは大変申し訳ありません。

3. who Internet is さん
[2020/08/12 00:12:32 JST(UTC+09:00)]


自分は、以下の理由から「人間は自由意志により判断を下すことができない」と考え、そして自由意志はないと考えています。

まず、「人間は考えるよりも先に体を動かしており、のちに脳が『自分で判断した』という信号を送っている」という記事を見たことがあり、それによるならば、少なくとも「意志」は機能していない。
また人間が意識的に判断を下すことができるのだとしても、それは「与えられた経験」と「与えられたその瞬間の環境」による判断であり、自由だと言えない。

こう考えていますが、どうでしょうか?

4. 無極 さん
[2020/08/12 00:40:35 JST(UTC+09:00)]

>Fully Hatter さん
論点をナンバリングしてくれたので、それに沿ってそれぞれ話そうと思います。
論点1について
まず、物理学にせよ数学にせよ、いかなる分野においても、原則として存在を主張する場合は主張する側に証明の義務があります。そうでなければ忽ち「悪魔の証明」によって議論に勝つことが目的となってしまうからです。無論仮説は仮説として検証されるものですが、根本的に「自由意志があるというなら、その可能性もあるよね、と逃げるのではなく、きちんと立証する必要がある」ということです。でなければただのカルトにしかなりません。
論点2について
「出目をコントロールする」は要するに「猫の生死を決定する」でしょう。要するに「賽を振るのは我々ではないが、賽がどんな目を出すかは我々が決める」のがここでの「意志」ということですか?
意志の自由よりかは意志の影響力の話になっているのでその主張自体自由意志とは関係ないように思えますが、ではどんな目を出すかはどうやって決めているのでしょう。その「意志」は我々の身体や環境などの外部要因の沈殿物ではないでしょうか。そこに自由はありません。
論点3について
1と同じく、悪魔の証明を強いる典型的な詭弁であり、それは哲学ではなく弁論術です。言語を弄して論破する以外の意味はそこにあるのでしょうか。
論点4について
仮説には根拠が必要です。完全否定されなければOKならば、YHVHは物理学となってしまいます。ニュートンにせよアインシュタインにせよ、或いはガリレオやコペルニクスにせよ、そこには綿密な理論構築と、それを支える数理的な証明が存在します。反証は証明の後に為される否定の一種ですから、順序を履き違えてはいけません。(そもそも、仮説の取り下げは反証だけでなく、証明自体の瑕疵や不備を指摘された場合も成立します。)「物理学は仮説を立てて立証しなくても否定されなければOK」ではありません。
論点5について
まず、私は「哲学を否定すること」それ自体は否定しませんし、寧ろ半ば賛同する立場です(私は楽しいから手遊びにやってますがね。)。しかし、「哲学する」のと「哲学について語る」のは別次元の話なのです。
私は自由意志や神があろうとなかろうとなんの感傷も湧かないのでそれらに関しては実行していませんが、信じた方が幸せという主張は一定の妥当性があります。
しかし、実際に哲学的な話をするにあたって、そんなことを言っても何にもなりません。「信じた方得だよね」は自由意志の有無とは別の場で行うものです。実際、パスカルの賭けも「神の証明」という哲学領域ではなくあくまで幸福のための指針として話されています。「注意喚起するな」ではなく、「自由意志の有無を話すのと、それを考えること自体のメリットデメリットは別の話」ということなのです。「大学に入るために勉強する」と既に決めたなら、勉強や大学のメリットデメリットは関係ありませんよね。論じると決めたならそれは過ぎた話ですし、論じるかどうか決める段階なら自由意志の有無を論じた気になってはいけません。論じないなら論じない。そういうことです。それはある種の冷笑主義として論をコケにする以上の意味はありません。論じるなら論じましょう。
私を怒らせるのはカバーと本が違うことくらいなので、遠慮なくどうぞ。

5. Fully Hatter さん
[2020/08/12 18:21:21 JST(UTC+09:00)]

> who Internet is さん
脳科学的な反論をありがとうございます。

『人間は考えるよりも先に体を動かしており、のちに脳が「自分で判断した」という信号を送っている?』

これは慶應義塾大学の前野隆司さんの「受動意識仮説」ですね。
「受動意識仮説」をご存じない方は以下の YouTube の動画がとても分かりやすいです。
https://www.youtube.com/watch?v=Ox8gJEIe5Ac

結論から言うと、わたしが「意志」と言っているのは「意識」のことではなく、「意識」「無意識」どちらの領域も含む意思決定能力そのもののことです。(動画の例でいう、脳の中の小人の集合体ですね)
ですので、「実行 → 意識」の時系列はありえると思いますが、より正確にいうならば「意志 → 実行 → 意識」のようなフローになるのでは、と思います。

『また人間が意識的に判断を下すことができるのだとしても、それは「与えられた経験」と「与えられたその瞬間の環境」による判断であり、自由だと言えない』

これについても、わたしは自明ではないと考えます。
たとえば、この宇宙の外側にわたしの「本体」がいると考えてみましょう。
その「本体」は完全なる自由意志を持っていて、宇宙の外側からコントローラーでわたしを操っています。
もしこれが正しければ、わたしの行動はすべて、「与えられた経験」や「与えられたその瞬間の環境」からは完全に自由な意志によるものとなります。

6. Fully Hatter さん
[2020/08/12 19:08:43 JST(UTC+09:00)]

> 無極 さん
まず最初に、数学と物理学を混同されているようなのでその点だけ補足させてください。
ご指摘のように、数学の世界では「証明」が可能です。
なぜならば、数学の世界は「仮定」から始まるので、その論理体系の誤りを「仮定との矛盾」という形で指摘できるからです。
しかし、ご存知のように、現実世界には絶対的な真理はないため、絶対的な「仮定」も存在せず、現実世界ではあらゆることの証明は不可能です。
だからこそ、物理学は「仮説」という手段で現実世界にアプローチしています。

そしてちなみに、物理学は(ほとんど)宗教です。
物理学の基礎となっているニュートンさんの数々の発見が、彼の宗教的なモチベーションによるものであったことも大きく関係していると思います。
物理学と宗教との違いは、その拠り所を「実験事実」とするか「聖書」とするか、くらいだと思います。

『「出目をコントロールする」は要するに「猫の生死を決定する」でしょう。要するに「賽を振るのは我々ではないが、賽がどんな目を出すかは我々が決める」のがここでの「意志」ということですか?』

まさにその通りです。
ただ、「猫の生死を決定する」だとちょっとミスリーディングなので、「出目をコントロールする」は「意志A」or「意志B」を決める、ですね。

『意志の自由よりかは意志の影響力の話になっているのでその主張自体自由意志とは関係ないように思えますが、ではどんな目を出すかはどうやって決めているのでしょう。その「意志」は我々の身体や環境などの外部要因の沈殿物ではないでしょうか。そこに自由はありません。』

一個前のコメントで書きましたが、以下はどうでしょう? (これはわたしの仮説と両立する考え方です)

> たとえば、この宇宙の外側にわたしの「本体」がいると考えてみましょう。
> その「本体」は完全なる自由意志を持っていて、宇宙の外側からコントローラーでわたしを操っています。
> もしこれが正しければ、わたしの行動はすべて、「与えられた経験」や「与えられたその瞬間の環境」からは完全に自由な意志によるものとなります。

最後に、このページ最後の部分の「幸せ」のくだりは哲学初心者の方へのわたしの個人的なメッセージですので、無極さんのような大変聡明な哲学者の方々はこのくだりは無視していただけると幸いです。
このページを作成した一番の理由は、このページを読む人を幸せにするためです。(他にも、「将来的な仕事の種をまきたい」「自分の考えを形にしたい」のような俗世的な願望ももちろんあります)
無極さんから見れば、このページはただ単に哲学をコケにしているだけに思えるかもしれませんが、もちろんわたしにそのような意図はありません。
(結果として副次的にそうなってしまっていますが、本来の目的はそこにはありません)

無極さんのような方々に対してわたしが伝えたかったのは、哲学のような自然言語をベースにする方法論には (かなりの) 制約がありますよ、ということでした。
この世界を理解する上で、たとえばピタゴラスの三平方の定理に代表される「なぜか世界が数学的に記述できること」や、アインシュタインの特殊相対性理論による「光の速度は絶対であること」や「この世には電磁気、弱い力、強い力、重力の 4つの力が存在すること」などは極めて重要な知見ですが、自然言語に基づく方法論では (たとえ答えが分かっていたとしても) そこにたどり着けないことには注意すべきだと思います。

7. 無極 さん
[2020/08/12 21:13:13 JST(UTC+09:00)]

>Fully Hatterさん
前半に関しては存じています。物理学と宗教は似たような手法を取っていますが、これらを決定的に分けているのが理論的根拠の有無です。仮説を立てること自体ではなく、理論的根拠の薄弱さと検証が皆無であることに問題点があります。ガリレオが計算などせず単に「地球は太陽の周りを回っている」と言ってもそれは(この例のように、仮に結果として観測結果と一致したとしても)物理学の態度ではありません。「仮説」と言えばなんでも許されるわけではないことを念頭に置く必要があります。反証する前に「理論的な説明」が十分になされているのが前提なのです。
その点も踏まえて聞きますが、「宇宙の外側の本体」の根拠はなんでしょうか。同じ「それを使えば説明できる」でも、相対性理論とその仮定には如上の意味で大きな隔たりがあります。
一連の主張は、無根拠に神の存在を放言し、指摘された矛盾に次々と根拠なき仮定や憶測、超常的な説明を重ねていったキリスト教と何が違うのでしょう。非常に神学的、もっと言えば「自然言語的」です。科学的姿勢とはとうてい言えません。
ただ、私としては自然言語の限界があるなら、それと物理学を含む諸科学、或いは芸術などの非言語表現の限界にさして距離はないと思います。いずれも所詮は我々が作り出したものであり、人間の営為全ては自然言語によるアプローチに限界の原因になる「恣意的な峻別性」と「因果的閉包性」、「人間のスペックによる物理的制約」などを有しています。私は方法論などどうでもいいので、使えるものは使い、示せる限り示そうとするのが最善と考えます。ぶっちゃけ「自然言語によるアプローチでは限界がある」というのは今更な話です。どうせ全部、人間が根底に持つ宗教性からは逃れられません(逃れられてません)からね。
更にいえば、それ、名前が同じだけで「ゲームのキャラとプレイヤー」みたいなもんですよ。仮に「本体」があったとして、それは結局原因の説明でしかなく、寧ろ現状我々の世界が因果に基づく確率論的決定論でしか説明できないことを示していると思いますが。そもそも同じ反論で無限後退するだけになりますから反論としても雑に過ぎるでしょう。
また、悪魔の証明を強いる典型的詭弁である、への反論がありません。無論、無いというなら無いとする論拠も必要ではあります(実際、これは「現実の事象を解剖していっても自由意志の入る余地がない」などで理論的に説明可能。)。
しかし、この記事の前半の説明では「世界が確率的であること」(確率論的決定論)にしかなりませんし、後半は無根拠に「ミラクルパワーはこういうものなんだ」とぼくのかんがえたさいきょうのじゆういしを好き勝手に言ったに過ぎず、主張の体をなしてもいません。あなたの主張する自由意志を証明するのに、その当の自由意志を利用していては世話ないでしょう。
最後に、「幸せ」について、意図に関係なく、実態として序論本論結論の形で結論部分にメッセージが来ていますし、(アプローチの限界についての見解は上記の通りですが)「制約がある」ことを示したかったなら自由意志の論証は単なる例示に過ぎないので、ここにおいて題に冠するほどの論点ではありませんね。何を語るのか明確にする必要があります。少なくとも題名からは「自由意志について語る」としか読み取れませんが、内容は自由意志について語られていません(結論のための例示の1つでしかない)から、1度それらを整理する必要があります。その意味においてこの記事は不完全です。

8. Fully Hatter さん
[2020/08/13 01:19:58 JST(UTC+09:00)]

> 無極 さん
ご指摘の通りですね。
これ以上は特に反論はありません。

9. いつかの宇宙人 さん
[2020/08/14 05:54:59 JST(UTC+09:00)]

「意味があると信じて未来へと突き進む。ただそれだけ」
仰るとおりと思います。
意味を創出することも、意味を持つでしょうし、仮に意味などなかったというところにたどり着いたとしても、それを理解するためだったという意味にもなるでしょうし、いずれにしても意味を求めるなら意味はもたらされると思います

難しい事は解らないので、本件に関係あるかどうかも判りませんが
未来予測については、イメージとして横軸の過去→現在→未来 ありきだと思うんですね
実際には、3D的な縦軸で「今」の積みかさねで、思いだす過去も思い描く未来の違いは脳がリアルタイムで何を感じたかの分類を変えているだけで、脳内で「今」ではない場所を見ていることに変わりがないという見かたも出来ますね
達成目標があり、スキームを組んで、それを実行して、
達成したときを今とすると、経過は過去、目標をたてたところからは未来、
達成していても、実感がなく、経過にいるとすれば達成地点は未来に据え置かれますし
達成していなくても達成したところに座ってみる事がリアルにイメージできたら、
経過を思い出して目標を立てたことまで思い出せるかという旅に成りそうです

表現が難しいですが「その軸のどこに自分がいるか」を脳内で自身で決定する
今現在というものは、自身が今現在を実感できない限り存在しない
実際、強烈なリアル体験がないと数日前の晩御飯が思い出せないのと同じで
当人に刻まれていない限り存在していないので、その間違う地点にいた可能性が高いとみることもできませんか
未来予測が計算というのは、もっともイメージしやすいたとえですが
どのように計算したのかが思い出せない地点にいると、思い出していく行為は目標を立てたときにスキームを組む状態と大差なく、行き着くところが目標立てた地点だとすると成功したのが過去で経過とスタート地点は未来になりますね
判別できてしまうから過去で、わからないから未来としているだけなのかもしれません

現に、過去どんなことがあったのかと遺跡調査をしていくと、発掘をしたさきに遺跡が見つかります
当たり前といえば当たり前ですが、遺跡が見つかるのは従来の時間軸では発掘後の未来になりますし

電車の中で、目を開いたまま目の前の人や車窓の風景を見つめていても
意識がいつだったかの楽しかった思い出や、これから会う人とのどんなことが起こるか
などなどをイメージしている時、実際自分がその電車に乗っている経過の場所に存在しているのかは
自分で認識できない場合は未知で、イメージしていた世界のどちらかに存在していた可能性を否定できません

最近はそんなふうに思うようになりました
一旦切って送信します

10. いつかの宇宙人 さん
[2020/08/14 06:12:38 JST(UTC+09:00)]

それと、ご飯かパンかのところですが
ご飯を選んだ自分がいると、パンを選ばなかった自分はイコールであると定義されますが
パンを選ばなかった自分が必ずご飯を選んだとは限らないですので
そこはイコールではない屁理屈が頭をよぎります
パンもご飯も選ばなかった自分もいるでしょうし、と考えると
ご飯を選んだ自分がいると自分の認識ではそうでも、自分の認識していない場所では
視界に入っていない物質が波状態であるかのように、
パンを選んだ自分も他のものを選んだ自分も存在している可能性が高い

最後に
幸せとは、ですが
こういう方法もあるんですね
今食べた食べ物が美味しくて、これが食べられなかったとしたら、、をイメージできたら
何が不幸であるかを意識できてそれを認識し、その状態にないことで幸せだと認識できる
これは、戦争と平和にも似ていて
そとで戦争があるために自国が平和であると実感できるというもので
仕事にせよ遊びにせよ、誰かと会うただそれだけでも
実際には誰もが何かと戦っていて、命がけだったりしていて
人の命を奪うものと言うくくりにおいては、病魔も武器も罪深く
まったく無縁の状況下にない場合は平和だと言えませんものね

そういった意味で、人の不幸は密の味であるかのごとく
不幸に注目がいくのは、幸せを実感したい欲求行動の1つでもあり
それこそが不幸にあるともいえるのかもしれません

私自身は自分が不幸であると思ったことがないので
幸せな子であると思っていますし、今後も幸せがどんづん積もっていくと思うようにしています
ただ、外からは「幸せにならなきゃ駄目だよ」と言われることが多々あり、
不幸に見えるようですので、実際に不幸な私も存在しているのでしょう
私は自由意志でその存在は否定もしないけれど認識もしない、それは認識をした果てに何があるのかを知っているからだと思っています。
失望したら終わりなんですよね、終わりだと認識している以上は、そこは否定するしか選択肢がないのかもしれませんね

毎度ありがとうございます

11. Fully Hatter さん
[2020/08/14 20:05:33 JST(UTC+09:00)]

> いつかの宇宙人 さん
コメントありがとうございます。
過去や未来は存在するのか、という哲学的な問いももちろんありますね。

本文中に書いていませんでしたが、こういったテーマの答えを探すためにわたしは「道具」が極めて重要だと思っています。
「微分」という道具がなければ人類は「ニュートンの運動方程式」にたどり着きようがないように、「変数」という道具がなければ人類は「ピタゴラスの三平方の定理」を発見しようがないように、「文字」という道具がなければそもそも我々は文化を形成しようがないように、道具は我々にとって非常に重要です。
我々がその答えにたどり着くためには、現状の手札であれこれ思索するよりも、その手札を増やすために新しい道具を考案したり、誰かが作った道具の使い方に思いを馳せたりすることの方が重要なのかもしれません。
そしてその「道具」は、思ってもみない形をしていたりすることにも注意が必要です。

幸せのくだりについては (「幸せを目指せ」的な文章を書いておきながらアレですが) わたしは、「不幸」もとても大切なのではないかと予想しています。
いまだにこの世に「不幸」な人が数多くいることには、おそらく大きな意味があります。
もし人類にとって「幸せ」が最も重要ならば、とっくの昔に人類はみんな「幸せ」になっていてもおかしくありません。
が、現実にそうなっていないということは、「不幸」というのは実は人類にとって必要不可欠な要素である可能性があります。
人類にとっては「幸せ」よりも「種の保存」の方が大事であり、「不幸」とは人類を絶滅させないための重要な道具なのかもしれません。
「幸せ」もまた、我々人類を絶滅させないための道具にすぎないとも言えるかもしれません。

12. いつかの宇宙人 さん
[2020/08/16 04:44:03 JST(UTC+09:00)]

いつも温かく丁寧な返信ありがとうございます

言い切れなかった事を少しだけ補足させてください
過去や未来は存在するのか、は実のところ存在云々を言いたい話ではなかったんですね
自由意志について、の部分としてのつもりだったんですけれども
どうも話をまとめるのが苦手で散文となり、申し訳ない限りなのですが

過去や未来が今現在と区別したとき同列にある
少々違うアプローチとなりますが
私は存在というものは認識で決まると定義していて
これが量子論にも出てくる、目視できていない死角にある物体は波である
であったり、パラレルワールドについても自分の中では繋がってるのでそこを話します

私の存在がある世界があると、それは同時に私の存在がない世界が波としてあるわけです
私は私の存在がない世界も認識するとします
すると、その2つのパラレルは常に同時進行でイメージできる
しかし、それは入れ替わる事があるのです、本人がどちらにいると認識しているかによる
もう少し具体的に言うと、既婚者のかたや誰かと同居しているかたはイメージしやすいかもです
当人XAが、YAと同居していたとします、すると同居していないXBのワールドがある
(YBはYAが想像する事はあっても存在を意識するほど認識していなければ存在しない可能性はあります)
パンを食べたXAとご飯を食べたXB、どちらもベなかったXCもいると
どれも全て自分である、と神同様の目線で自分をそれぞれのワールドに同時進行のアングルで見る事が出来ると
1人称の時は何につけてもさほど悩まなくなってくる
YAと同居しているとその状態において、適切な進行であるかどうかは悩む場合が発生します
食事なんかはそうでしょう、和定食を作って一緒に食べたのに記憶がパンとして残れば混乱します
別に無理にあわせているとかではなく、無意識に確認をしていますよね、会話などをしてメモリーします
昨日のアレおいしかったね、とか いついつどこどこに行ったの面白かったからまた行こう、などなど
その整合性を整えるためにも常に遠くからではなく、どこかのワールドに身を置いていますが
別々のワールドに同時に身を置く事ができない
しかし、それぞれのワールドにいながらにして別のワールドに行っている事は多々あるわけです
会話をしていても上の空、などはそれに当たるかと思います
何も聴こえていなかったり、同じ部屋にいても相手を認識せずに何かに没頭、誰もが自然にやっていることです
そのワールド間の移動は自由意志だとしか思えないんですよね

一旦送信しますね




13. いつかの宇宙人 さん
[2020/08/16 05:43:31 JST(UTC+09:00)]

それで、さらに例えばその同居人といることを望んでいるのに別居しているXBがいたとします
そこに身を置いたときも、XAの存在を認識できていれば願望はかなっていたりするわけです、別のワールドですが
あくまでも、全体図を見れたらの話です
その角ワールドをどこまで認識できて、身を置いているワールドにつなげたか=移動できたか
と考えばいろんな事が起こるのも、奇跡が軌跡だったことも辻褄があってくるし
冷め切ってて会話もなくお互い不倫しているような夫婦がいたりするのも、ものすごくひきのカメラで全体を見ると実際には整合性が取れていることさえありますよね、双方別のワールドがある事を認識しているからこそ、維持できたり
元々無数にある別々のワールドをどのタイミングでいつどこにというように待ち合わせたり
軌道を修正したりと意思疎通を図らないと友達が沢山いても家族がそばにいても孤立した1人称にとどまる

このあたりの理解を2人称以上で深めていけるか、互いに共通の認識をどこまで持てるかで
自由意志の共鳴によって、より多くの「良い」をとれるかどうかによって存在の持続、後継は決まる
今後のキーになっていくのではないかなと思う次第です。

※「良い」とは継承すべき、遺したいものなどをさすのかもしれません。


「道具」について、ありがとうございます。

仰るとおりですね





14. Fully Hatter さん
[2020/08/16 11:00:09 JST(UTC+09:00)]

> いつかの宇宙人 さん
すみません、いつかの宇宙人さんのコメントを読んで、わたしが思いついた全然関係ないことをお話していました笑

「多世界解釈」をベースにしたいつかの宇宙人さん解釈の丁寧なご説明もありがとうございます。
量子論とも整合性はとれていると思います。

15. いつかの宇宙人 さん
[2020/08/17 03:11:30 JST(UTC+09:00)]

すみませんだなんてw
一見、ひょうたんからこま、タナボタ的ではありますが
無関係とは思えないことが、別次元からの軌道修正のようでとても有意義
そういった事が起こることに面白さ・希少さ・価値があるのがコミュニケーションなのでしょうね
大変ありがたいです

ひょっとしたら、理解してるかも
ひょっとしたら、理解していないかも
何を前提にどこを目指して話すかによって一見は思いもしない変化があったり
変化だと感じても実際には共鳴によって本来の軌道を再確認しているだけだったりするのかもしれませんね

道具のお話をリクエストさせてください
思ってもみない形をしていたりすること、は新たな扉を開く鍵になりそうです
別のトピックで是非♪

16. Fully Hatter さん
[2020/08/17 15:00:10 JST(UTC+09:00)]

> いつかの宇宙人 さん
好意的な解釈をしていただきありがとうございます笑
それではリクエストにお答えして、「道具」についてもそのうち書いてみようと思います。
(心変わりしちゃったらごめんなさい)

17. ごはんたくぞう さん
[2020/08/20 12:57:54 JST(UTC+09:00)]

ふりまこさんをフォローする40代会社員、工学部出身、ちょい頭悪オヤジです。大変興味深いです。

「「自由意志」は存在しない」を厳密に証明できないなら、存在する、でいいんじゃないかと思いました。

「不確定性原理」と「意志」との関連を僕が理解できてないからでしょうか。僕が知っているのは「観測」であって、「意志」ではない。

18. そい さん
[2020/08/20 14:38:35 JST(UTC+09:00)]

例えば私が「明日朝6時に起床する」と決めたとして、その時間に目は覚めたものの「眠いから二度寝しよう」という行動をとったとします。これはその瞬間の自分の状態を鑑みて、最良の決断をするという自由意志なのではないでしょうか?

浅学な者でして、ご教授願います。

19. Fully Hatter さん
[2020/08/21 18:26:06 JST(UTC+09:00)]

> ごはんたくぞう さん
フォローいただきありがとうございます!

『「「自由意志」は存在しない」を厳密に証明できないなら、存在する、でいいんじゃないかと思いました』

まさにその通りだと思います。
たとえ証明できてしまったとしても、その事実が人類にとって害になりえるのであれば、その証明を「忘れる」ことも一つの選択肢としてありかもしれません。

20. Fully Hatter さん
[2020/08/21 18:40:00 JST(UTC+09:00)]

> そい さん
「二度寝」の判断が「自由意志」によるケースももちろんあるにはあるとは思いますが、個人的には「二度寝」の多くは不可避の運命な気がします笑
タイムマシンに乗ってその決断の瞬間に戻ったとしても、「二度寝」以外の選択ができる気がしないからです。

そして、本文中では触れていませんでしたが、『「自由意志」を使わない』ということも実は大切なことです。
人が一日に「決断」できる回数はある程度決まっており、あまりに決断しすぎると「決断疲れ」という現象が起こることが分かっています。
英語を習得するために、最初は「自由意志」を用いて「英語を習得する」と決断することは大事ですが、決断した後は、なるべく「自由意志」を使わなくて済むように英語学習を毎日のルーチンに組み込むことが大切です。

21. ごはんたくぞう さん
[2020/08/23 20:42:06 JST(UTC+09:00)]

Fully Hatter さん、ご回答ありがとうございました。
「自由意志」と「不確定性原理」の関係は考えたことがなく、大変興味深かったです。
他のテーマも拝見させていただきます。お手柔らかにおねがいします。

22. 魔王プートン さん
[2020/08/25 00:55:13 JST(UTC+09:00)]

はじめまして。ふりまこさんのファン!なりました。

私の足りない頭では議論のようにはならないかと思うのですがふりまこさんからどうなのか伺えると嬉しいと思うところです。

コインを投げて裏表どちらになるかは確率では半々ですが、投げる角度などが鋭く分かっていれば完全に結果は当てる事ができます。しかし、放射能のようなもの(ちがうのかな?放射能じゃなくてなんていえばいいか、伝わるかな、上手く言えないけど)が一定の時間経過で消えていくときにどれが消えてどれが残るのかは予測不可能って内容を本で読んだ事があるんですけど。つまり、自分の意思でしたいことをすることは出来るけど、結果どうなるかは蓋を開けるまで分からないってことかと思うのですよ。それで人は何処までが運命として決まっていて変えられるのは何か?結局今をどう生きるかで未来が決まってくるということかななんて思ったんですけど(当たり前すぎる話にしかなってませんが。)

そして、量子のお話からすると、絶対的な未来からなら人を救うことも神様には出来るのではと思います。私が死なないといけないときがあったとしても死ななくても済む宇宙へと移動出来ればいい。正しい「自由意志」に導かれる限りは進んで行けるってことでしょうか?
↑このことからすると非科学的なこと適当に言うのかとも思いますが、神様は後出しジャンケンが出来るってことではないでしょうか?私たち人も良くないことは改善していこうとしますが神様がそれをやればキリスト教の言う神の国の到来なのか。どうなんでしょうか?

私は20代の頃に、「神の力が絶対でないのだとしたら神も未来へ恐れを抱いている」なんても考えてみたこともあったのですが。

結局全てなるようにしかならないと諦めるならなるようにしかならないけど諦めなければ良い未来へ進んでいけるのかな?

人がより確かな未来へと進んで行くことを考えるうえで量子の記事スゴく楽しかったです。
結局相対性理論と量子力学の橋渡しが出来る理論が考えだされていくのかな?

訳のわからないこと言ってしまったかな(汗)もっとお聞きしたいようにも思うけど私の頭の程度がバレてしまうので(もうバレてるか)ここまでにします。


ふりまこさんのこれからのご活躍期待してます。本を出発なさったならツイッターで知らせてください。速攻で買います。楽しみにしてますね。。。。

23. Fully Hatter さん
[2020/08/25 23:23:17 JST(UTC+09:00)]

> ごはんたくぞう さん
またいつでもどうぞ!

> 魔王プートン さん
ファンになっていただきありがとうございます!笑
今後とも末永くよろしくお願いします。

『自分の意思でしたいことをすることは出来るけど、結果どうなるかは蓋を開けるまで分からないってことかと思うのですよ。それで人は何処までが運命として決まっていて変えられるのは何か?結局今をどう生きるかで未来が決まってくるということかななんて思ったんですけど』

まさにその通りだと思います。
意志の力で実現可能なことはあるけれど、一方で運命づけられた領域ももちろんあると思います。
自分の意志でどうにでもなるのに「運命」だと信じ込んでしまうのはもったいないですが、自分にはどうしようもない運命を受け入れるのも大切なことだと思います。

『私が死なないといけないときがあったとしても死ななくても済む宇宙へと移動出来ればいい』

決定論的な考え方からわたしの主張を見てみるとそのように捉えられるかもしれませんね。

『結局相対性理論と量子力学の橋渡しが出来る理論が考えだされていくのかな?』

わたしの主張は量子力学ベースの考察であって、相対性理論の要素はないですね。
相対性理論と量子力学とを統合する理論の現段階での最有力候補は「超弦理論」かと思います。
「超弦理論」の本は (入門書含め) いろいろ出ているので、ご興味があれば本屋さんで探してみてください。

24. 凡夫 さん
[2020/09/04 22:41:50 JST(UTC+09:00)]

トンチンカンなこと言ってたら申し訳ないんですが、いくつか言わせてください。

・人の脳も量子で構成されているなら、意志もランダムな確率に基づくものでしかない、つまり意思はまやかしでしかなく、実際は確率の奴隷でしか無いのでは?
未来は未確定ではあるが、ランダムに決定されていくのみで、そこに意思の介入する余地はないということは?

・ごはんとパンを選ぶというくだりがありましたが、ここでパスタは出てこないですよね。量子のランダム性によって選ばれたのがごはんとパンだったからです。意思ができるのは量子に提示された選択肢を選ぶぐらいのもので、選択肢を提示する段階に意思は大して介入しないわけです。
そうなると、量子のランダム性が他の膨大な選択肢たちの中からごく限られた選択肢だけを提示しているとこになります。パスタやラーメンやフレンチはいつの間にか除外されてますから。
よって、意思は確かに選択肢を選ぶ自由はあるかもしれないが、用意された選択肢によって進む方向性が著しく限られることにはなりませんか? となれば、人に意思はあっても、相当縛りのある、不自由な意思にはならないでしょうか?

拙い文章で申し訳ないですが、是非意見を聞きたいです。

25. Fully Hatter さん
[2020/09/05 10:28:23 JST(UTC+09:00)]

> 凡夫 さん
『人の脳も量子で構成されているなら、意志もランダムな確率に基づくものでしかない、つまり意思はまやかしでしかなく、実際は確率の奴隷でしか無いのでは? 未来は未確定ではあるが、ランダムに決定されていくのみで、そこに意思の介入する余地はないということは?』

もちろんそういう解釈も可能だと思います。
一方で、そのランダム性の裏には実は我々の意志の作用も働いている、という解釈も可能だと思います。
どちらの解釈も可能であるならば、より我々が幸せになれる方を信じればよいのでは? というのが本文の趣旨でした。

『意思は確かに選択肢を選ぶ自由はあるかもしれないが、用意された選択肢によって進む方向性が著しく限られることにはなりませんか?』

まさにその通りだと思います。
このことについては、近いうちに別記事で解説する予定ですのでいましばらくお待ちください!

26. 凡夫 さん
[2020/09/05 10:53:08 JST(UTC+09:00)]

回答ありがとうございます。

なるほど、意思の立ち位置をどこに置くかで、解釈が変わってくるのですね。
意思は「モノ(脳)」がベースになっているとするなら、自由意志などなく、ただのランダム性のみという解釈になる。
一方で、意思は「モノを超えたなにか」であるならば、確かに量子の縛りは受けないと。事実、意識などというものを物体として取り出せはしないですものね。

でも、意思(意識)は脳の影響を受けるので、やっぱりどっちか分からない笑
どっちでもあったりするんだろうか?なんて考えてしまいます。

すごく面白い記事でした。次の記事も楽しみにしております!

27. Fully Hatter さん
[2020/09/05 14:30:21 JST(UTC+09:00)]

> 凡夫 さん
ありがとうございます!
またコメントお待ちしております。

どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。


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