「自由意志」をご存知でしょうか?
「自由意志」とは、哲学の世界などでは非常に有名な、物理学や脳科学の領域にも関わってくるとてもおもしろいテーマです。
たとえばあなたは、休日の朝に目を覚まし、今日は何をしようか、などを考えると思います。
天気もいいし外にお散歩に行こうか。
それとも本屋さんに行って本でも読もうか。
あ、久しぶりに、友だちとどこかに遊びに出かけるのもいいかもしれない。
などと考えるかもしれません。
多くの人は、なんの疑問もなくこのような選択をしています。
そして我々は、これらの選択肢の中から「自由に」自分の行動を選んでいると思っています。
果たしてこれは本当か? というのが今回のテーマです。
「自由意志」への疑問
『わたしはいつも自分の行動は自分で決めている! だからもちろん、自由意志もある!』
そう思いますか?
たとえば、あなたに倒さなければならない敵がいたとしましょう。
その敵はあなたの 100m先であぐらをかいて座っています。
そしてふとあたりを見渡すと、丁度いい大きさの大砲がありました。
このような状態で、もしあなたが高校生レベルの数学的知識があれば、この大砲をどの角度で、どのスピードで発砲すればその敵に命中させられるかを計算することができます。
(実際には、砲弾の形状によって発生する空気の流れや摩擦、コリオリ力などの影響もあるため、本当はそう単純ではありませんが、これは例なので許してください)
何が言いたいかというと、我々は「現在の状況から未来を計算できる」ということです。
物を落とすと地面に落ちて壊れる、ドライヤーをあてると髪が乾く、など、この世界は因果関係で溢れています。
そうであるならば、もし我々がすべてを計算しつくしたのならば、未来は完全に予測できるのではないか? という疑問がでてきます。
もし未来を完全に予測できたとしたらどうなるでしょう?
もしそうなれば、自分がこれから何をするかもすべて計算できることになります。
今日は何をしようか考え、読書をしようかお散歩をしようか悩み、結局はお散歩をすることに決める、という未来もすべて計算できることになってしまいます。
そう考えてみると、我々が当たり前のように受け入れている「自由意志」とは、もしかしたら我々が勝手に頭の中で作り出した幻想なのかもしれない、とも思えてきます。
我々は、みんな最初から決められたレールに沿った行動をしているだけだということになるからです。
前準備
以上が「自由意志」についての概要でした。
ここまでで、どうでしょうか?
この世界には「自由意志」なんて存在しないのかも、と不安になりましたか??
ここからが本題です。
Fully Hatter が、この世に絶望しかけているあなたのために「自由意志」の存在を証明してあげましょう。
ここでキーになるのは、物理学の「量子」という概念です。
「量子」とは、簡単に言うと非常に小さい世界のことです。
もしかしたらあなたは、この世の物質はすべて「原子」という小さい粒でできている、と聞いたことがあるかもしれません。
「量子」の世界は、その「原子」の粒のような小さい粒たちが主人公です。
我々の世界は「量子」でできていますが、そのふるまいはあまりに奇妙で、我々の直観に反するどころか、専門家ですらその振る舞いを (予測はできますが) 理解できていません。
たとえば「量子」の世界では、あらゆる粒は「粒」でありかつ「波」として振る舞います。
ちょっと何言ってるか分からないと思いますが、「量子」は明らかに「粒」 (これ以上分割できない最小単位が存在) ですが、同時に同心円状に広がったり干渉縞ができたりする「波」の性質も持ちます。
他にも、これもちょっと何を言ってるか分からないと思いますが、「量子」は絶対通り抜けられないエネルギー∞ の壁を通り抜けることができます。(量子トンネル効果)
「量子」の世界の奇妙な性質のすべてをここで示すことはできませんが、「自由意志」に関わるいくつかの特筆すべき特徴を以下にご紹介します。
量子の世界 「重ね合わせ状態」
ここでの最も重要な量子の性質は「重ね合わせ状態」です。
量子の世界の小さな粒たちは、コインの表裏のような 2つの状態のうちのどちらかをとる場合があります。
そのような場合に量子は (驚くべきことに) 表と裏のどちらの状態も合わせ持つ「表50% 裏50%」のような状態を保持することができます。(このような状態を「重ね合わせ状態」と呼びます)
これは、我々がコインを投げたあとに手で伏せて、コインの表裏のどちらが出たかを隠している状態とは大きく異なります。
(我々の直感では、どちらの場合も表が出る確率は 50% なので、本質的には同じことのように思えますが、全く違います)
たとえば、伏せた手を開けてコインが「表」だった場合、タイムマシンに乗って手を開ける直前に戻ったとしても、そのコインの結果は変わらず「表」ですが、量子の世界ではそのような場合に「裏」にもなりえます。
また、たとえばコインの表裏の色が白か黒かだった場合、コインを投げると白か黒かにしかなりえませんが、量子の場合は結果を計測するまでは「グレー」の色となります。
(あとは、我々の直感では認識できない「負の確率」がありえたり、など、他にも違いは数多くあります)
量子の世界「不確定性原理」
もう一つ、重要な量子の性質に「不確定性原理」があります。
我々は、手に取れるすべての物は計測できると思っています。
クローゼットの中に何着の服があるか、この時計の重さは何グラムか、あの新幹線は時速何キロメートルで走っているか、などはもちろん、この地球自体の重さすらも簡単に計算可能です。
ですが、それらを構成する原子という小さい粒については、実は正確に計測することはできません。
たとえば重さを測るためには、その物体を天秤に乗せる必要があります。
その物質の色を調べるためには光を当ててみる必要があります。
通常、重さを測ったり光を当てたりしたくらいでは物は壊れないため、我々は何の違和感もなくそのような方法で計測してきたのですが、「原子」のような極めて小さい粒の場合は状況が全く異なります。
「原子」はあまりに小さくて軽いため、ほんの少しの光を当てるだけでも、当てる前後でその粒の状態が大きく変わってしまうのです。
これらは、極めて厳密な数学的な記述により、その状態を正確に計測することは原理的に不可能であることが分かっています。
我々を構成する要素それ自体が、そもそも計測することすらできないのです。
序論
『 で、その量子とやらと「自由意志」に何の関係があるの? 』
もしかしたら勘の良い方は気づいたかもしれませんが、「自由意志」うんぬんの議論をする以前に、もうこの時点でいくつかの問題は解消されています。
まず、我々の運命はもうすでに決まっている、のような決定論的な考えは量子的に 2つの意味で間違っています。
第一に、我々を構成する量子的な要素は完全に確率的な振る舞いをするので、未来を正確に予測することは不可能です。(先ほどの量子の「重ね合わせ状態」を思い出しましょう)
第二に、もし量子が確率的な振る舞いをしなかったとしても、そもそもそれを正確に観測することすらできないので、未来を予測する以前の問題です。(量子の「不確定性原理」を思い出しましょう)
我々は未来どころか、いまこの瞬間すらも原理的に認識できないのです。
「自由意志」の存在証明
これらの性質により我々の自由はほとんど担保されている (我々が「不自由」であることの証明は不可能) といえますが、最後にダメ押しとして「自由意志」の存在を証明しておきましょう。
我々の「自由意志」は、実は量子の世界に存在します。
我々は日々、A か B かの判断をしていますが、これらはすべて量子的に成されています。
洋食屋さんで「ごはん」か「パン」かを選ぶ場面を例に、そのメカニズムを時系列順にご説明しましょう。
洋食屋さんでの注文の流れ
① 「ごはん」か「パン」か悩む (脳内で「ごはん 50% パン50%」の量子重ね合わせ状態を作る)
② 「意志」の力で「ごはん」を選択 (この時点ではまだ現実世界には何も影響を与えず、量子状態も「ごはん50% パン50%」のまま)
③ 店員さんに『ごはんでお願いします』と発声する (② で選んだ「ごはん100%」の量子状態に確定)
この ① で量子状態を作るのがとても重要です。
これにより我々は、「ごはん」か「パン」かを過去のいかなる因果も超えて自由に選ぶことができます。
量子の性質により、「ごはん」を選ぶ可能性も「パン」を選ぶ可能性もどちらも担保できるからです。(量子の「重ね合わせ状態」を思い出しましょう)
さらにさらに、その性質上、観測によりその判断を事前に予測することはできません。(量子の「不確定性原理」を思い出しましょう)
また、② の「意志」の力を使用した時点では現実世界には何も起こらないこともとても重要です。
我々の「意志」は過去のいかなる事象からも自由であり、その「意志」の力は常に未来にのみ影響を与えるのです。
③ では、元々「ごはん50% パン50%」だった確率を「意志」の力で「ごはん100% パン0%」のように捻じ曲げると統計上の不整合が起こりそうですが、この意志の力は局所的かつ統計的な影響を一切与えない、という特殊な性質があるので、そのような問題は発生しません。
終わりに
以上が「自由意志」の存在証明でした。
え? これじゃ証明になってない、ですって??
はい、その通りです。
これは証明になっていません。
ですが、わたしが示したかったことはこれで十分です。
実は、このページの本当の意図は「自由意志」が存在しうる可能性を示すこと、そして、哲学のような自然言語をベースとする枠組みでは「自由意志」の答えには到底辿り着けないことを示すことでした。
もしかしたらあなたは、辛いことがあったときにこんなことを考えたりするかもしれません。
幸せって何なのだろうか?
人生に意味なんてあるのだろうか?
でもそんなときにこそ、我々は立ち止まらなければなりません。
もしかしたらそれは、そもそもあなたが問うべき命題ではない可能性があるからです。
自分の人生に「意味がある」とした場合と「意味がない」とした場合、どちらがあなたにとって幸せでしょうか?
もしそれが明らかであれば、あなたはもう何も考える必要はありません。
なぜならば、絶対的な正解のないこの世界で、このどちらが正しいかは誰にも分からないからです。
もちろん哲学の世界にも物理学の世界にもその答えはありません。
そうであるならば、あなたのやるべきことはただひとつ。
そこに意味があると信じて未来へと突き進む。ただそれだけではないでしょうか。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。