人は「一番」を追い求めているように見えて、実は、そんなものは誰も目指していないのではないか。
今回はそんなお話。
例えば、プロのスポーツ選手を考えてみましょう。
彼らは本当に「一番」を目指しているのでしょうか?
いやいや、「一番」を目指しているに決まっているだろ!
そういう風に思いますか?
では、以下の質問を考えてみてください。
Question 1: もしあなたに「世界中の人間の力を自分以下にできる能力」があったとしたら、それを使いますか?
Question 2: 「自分より劣る人間しかいない」環境と「自分より優れた人間のいる」環境、どちらで過ごしたいですか?
本気で「一番」を目指すようなプロほど、そんな能力は使いたいとは思わないし、「自分より優れた人間のいる」環境を選ぶのではないでしょうか。
「一番」を目指すということは、上記の能力を「使う」と答え、「自分より劣る人間しかいない」環境を選ぶということです。
本気で「一番」を目指すプロの彼らが本当に目指しているのは、きっと「一番」のような他人との比較ではなく、自分の「理想の姿」なのではないでしょうか。
何を目指すべきか
答えはいたってシンプルです。
① 「なんとなくの理想」を思い描く
② 目の前のことに「ひたすら熱中」する
③ ときどき「なんとなくの理想」に自分が近づいているか確認する
③' 近づいていない場合、「ひたすら熱中」する対象を変える
「一番」とは一つのはかりです。体重計と同じです。
どうして人は体重計に乗るのか、それは、今の体重を知りたいからではありません。今までの自分の食生活や運動量が適正だったのか、そして、これから自分は何をすべきかを知るためです。
どうして人は体重〇〇キロになりたがるのか。それは、○○キロになりたい訳では決してありません。異性にモテたり健康になるためです。
つまり、人が順位を気にするのは「一番」になりたい訳では決してなく、これから自分は何をすべきかの指針になるからなのです。
目指すべきなのは「ひたすら熱中」する自分。
そして、たまに「ひたすら熱中」する方向が正しいか確認すること。
ただそれだけではないでしょうか。
羽生善治 (将棋棋士)
「ただ一局一局を大切に、そこにだけ集中して指してきた」
「相手のことを知るよりも、自分自身が強くなればそれで済む世界だし、それを目指した方が本筋というか、王道という気がする」
錦織圭 (テニス・プレイヤー)
「誰かを越すとか誰かに抜かれるとかではなく、自分ができる最大の努力をする」
能力を「使う」方、「前者」の環境を選ぶ方へ
実は私も、あなた方の考えはよく分かります。
世界中の誰もが自分よりも劣り、自分が頂点となる世界は素晴らしいものじゃないか、という考えですね。
そんな世界では、誰もあなたをバカにしませんし、劣等感を感じる必要もなくなります。
ですが実は、そんなあなたも「一番」を目指してはいません。
あなたが目指しているのは「自分が傷つかないですむ世界」であり、「自分の支配欲を満たせる世界」です。
あなたは決して「一番」になりたいわけではないのです。
私がそうであったように。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。