23. Fully Hatter さん
[2020/07/19 12:02:04 JST(UTC+09:00)]
> 哲学徒 さん
詳細でかつ丁寧なコメントありがとうございます。
実はわたしは、哲学徒さんのご指摘にかなり近いことを考えていました。
この文章を書いたあと、たまたまご縁があってカント研究の第一人者の方のもとで純粋理性批判を学ぶ機会があったのですが、その際に、(カントさんのこの考えって、まさにわたしがこの文章でいいたかったことそのものではないか?) と思いました。ちょっと傲慢ですが笑
このことを自分で言うのは恥ずかしかったのですが、哲学徒さんのコメントを読む限り、わたしのこの感覚はあながち的外れでもなさそうだったので少し安心しました。
以下詳細についてご回答させていただきます。
(ちょっといくつか批判もあって、気分を害するかもしれませんがご容赦ください。大前提として、わたしは哲学徒さんのことが好きです)
■ 哲学徒さんの主張の要約
・Fully Hatter が「哲学」といっているものは「カント以前の形而上学」である
・「カント以前の形而上学」は仮定にも疑問が生じえる (前提条件に対して無限後退的に疑問を建てられる)
・「カント以前の形而上学」はカントの「物自体」の概念によって否定されている
■ Fully Hatter の解釈
・カントさんの考えとわたしのこのページの主張は本質的に等価である
・カントさんの純粋理性批判によって「カント以前の形而上学」は無意味であることが示され、かつての哲学的な方法論そのものは終焉を迎えた
・よって、カント以前の哲学をいくら学んだところで、そこに「真理」は存在しない
■ 気になった点 ①
「哲学の理解には歴史的背景が重要」という考えに違和感があります。
わたしは、「真理」に近づくための学問体系においては歴史的背景は重要たりえなえい (歴史的背景が必要とされる学問はすべて「真理」に近づいていない) と考えています。
物理学の世界だと分かりやすいですが、「アインシュタインの相対性理論」を理解するためには、それ以前の「ニュートンの運動方程式」を理解する必要はありません。
なぜならば、「アインシュタインの相対性理論」は「ニュートンの運動方程式」の拡張であり、前者に後者は含まれるからです。
「真理」に近づくとはこういうことではないかな、と思う次第です。
また、もし歴史的背景の理解が本当に必要なのであれば、時代が進むにつれてその学問の理解に必要な知識は膨大になっていき、いつかは人間のキャパシティを超えることは想像に難くありません。
その意味でも、歴史的背景の理解を必要とする学問で「真理」に到達できるとは到底思えません。
現実世界の今この瞬間の問題を解決するためには歴史的背景の理解は必須ですが、普遍的真理を追い求める世界で、過去の誤りを一つ一つ理解することに意味があるとはあまり思えません。
■ 気になった点 ②
『(カントの) この発見 ( = 認識能力には限界があること) を無意味だというのならば、この世で成立しているあらゆる諸学問や価値全て、そして世界自体が無意味になるのではないでしょうか』
これについては本文でも触れていますが、無限後退的に疑問を建てられない数学や物理や宗教の世界では事情が異なると考えます。
■ ちょっとした補足
カントさんの考えに近いことが、実は「量子論」の世界にも存在します。
「量子 ( = 原子や光などの極めて微小な粒)」の世界ではあまりに粒が小さいため、たとえばその位置や速度を計測しようとするだけで、その粒の動きに影響を与えてしまいます。
ですので、実は人間は、原理的にその粒を正確に計測することはできません。
物理学の世界でも、この世には原理的に知ることのできない領域があります、というお話でした。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。