今回のお話は成果主義について。
*
たとえばあなたが会社の社長になったとしましょう。
社員さんが100人くらいの会社です。
あなたはもちろん、みんなに一生懸命働いてもらって楽してお金を稼ぎたいな~、と思うわけです。
そしてあなたは思いつくでしょう。
『成果を出している人にいっぱい報酬(お金)をあげれば、みんな頑張るようになるのでは?』
*
たとえばあなたは 3才の子どもを持つお母さんだったとしましょう。
死ぬほど痛い思いをして産んだ大切な我が子には、いつか立派な大人になって欲しいと願うものでしょう。
そして、こんなことを考えます。
『悪いことをしたら罰を与えて、いいことをしたらいっぱい褒めてあげれば、いい子に育つのでは?』
*
たとえばあなたは中学校の先生だとしましょう。
多忙な日々の業務や授業に追われながらも、生徒が成長していく姿を見るのを生きがいとしているあなた。
つい、授業中にこんなことを生徒に言います。
『いまちゃんと勉強しておけば、いい大学に行けて、そして楽しい人生が待っていますよ』
*
何が言いたいか伝わりました?
「能力のある人(努力する人)にはご褒美をあげて、能力のない人(努力しない人)には低い扱いをすること」は当たり前
このように みんなが思っている ことです。
そして、これらは よいこと だと、少なくとも 悪いことではない と みんなが思っている ことです。
はじめに言っておきますが、こういった問題の正解は単純なものではないと考えています。
その社会の慣習はもちろん、対象の人の年齢や嗜好によっても正解は異なるでしょう。
ですので今回は、ちょっとしたヒントを提供するにとどめたいと思います。
(ちなみに Fully Hatter は成果主義の会社で働いています)
成果主義のデメリット
これは知っている人は多いかもしれませんが、念のため以下に簡単にまとめます。
成果主義とは、簡単に言うと「できる人にはいっぱいお金をあげて、できない人にはそこそこのお金をあげるような制度」のことです。
一見すると、成果主義を取り入れればみんなお金をもらうために頑張って努力するのでは、と思われます。
ですが、成果主義には以下のようなデメリットがあります。
- 仲間を手伝ったり知識を共有したりなどの協力をしなくなる
- 成果主義のもとでは、仲間より「できる」かどうかで自分の報酬が決まります。そのため、仲間が自分よりも劣っていればいるほど自分の報酬は多くなります。仲間と協力をするどころか、仲間の仕事の邪魔をすることが時として自分の報酬を多くする要因となったりします。
- 短期的な成果をもとめがち
- 成果主義では(過程も判断材料となるとはいえ)目に見える成果が大きな力を持ちます。よって重要なのは「確実に」「短時間で」結果がわかる仕事になります。目に見える成果が現れるまでに10年もかかるような仕事は、誰もやりたがらない可能性があります。
- 創造性がなくなる
- 創造性の源は「遊び心」です。成果主義は人から余裕を奪い、創造性を低下させる可能性があります。
- 中間層(まあまあできるひと)のモチベーションが下がる
- 成果主義では「できるひと」「まあまあのひと」「だめなひと」などのようにその集団を分類分けします。この際に大部分は「できるひと」ではなくなるため、その大部分の社員のモチベーションが下がってしまう可能性があります。
- 完全な評価は不可能
- たとえばチームで作業を行う場合などでは、誰がどのくらいの貢献をしたかがはっきりとは分からない場合があります。そういう場合には、例えばそのチームのリーダーがメンバーそれぞれの評価をしたりします。人は(誰もが思い当たる節があるかと思いますが) 自分の好みの相手の能力を高く見積もる傾向があるので、評価主義を徹底すればするほど、そのリーダーへのゴマすり大会がはじまってしまう可能性があります。
モチベーションは買えない
ここからは、あまり多くの人に知られていない事実について書いていきます。
1971年の Edward L. Deciさんの研究 (External rewards on intrinsic motivation) で、モチベーションと外部的に与えられる報酬との間の驚くべき関係性が明らかになっています。
(該当の研究は、リンク先の Wikipedia の真ん中あたりに記載があります)
Deciさんは以下のような実験を行いました。
12人の学生を 2つのグループに分け、それぞれのグループの学生に 3日間にわたってソーマキューブのパズルを解いてもらいます。(とても楽しいパズルです) 1日目は両方のグループに普通にパズルを解いてもらいます。そして 2日目は、一方のグループには 1日目と同じようにパズルを解いてもらいますが、もう一方のグループにはパズルを解くたびに報酬を与えます。そして 3日目は 1日目と同様に、どちらのグループにも報酬を与えずにパズルを解いてもらいます。
勘のいい方はもしかしたら、もうこの時点でこの実験で何をしようとしているか分かったかもしれないですね。
実はこの実験で見るのは、それぞれのグループが 3日目の休憩時間に何をして過ごすのか です。
1日目も2日目も、それぞれのグループの半数以上の学生が休憩時間もソマパズルに熱中していました。
3日目の休憩時間も同じでしょうか?
実験の結果、それぞれのグループで明らかな違いが見られました。
なんと 2日目に報酬を与えなかったグループの方が、報酬を与えたグループよりも三日目の休憩時間で明らかに多くの時間をパズルをして過ごしたのです。
報酬をあげなかった人たちの方がむしろよりパズルに興味を持ち、意欲的にパズルに取り組む結果が明らかになりました。
これは多くの人にとって驚くべき結果でしょう。
多くの人はみんなのモチベーションを高めようとして報酬を 与えて しまっているのですから。
パフォーマンスは買えない
Sam Glucksbergさんによる研究 で、なぞなぞのような問題(ロウソク問題)を二つのグループに解いてもらいました。
一方のグループにはただ「問題を解いてみてください」とだけ伝えます。
そしてもう一方のグループには「もし問題を早く解くことができ、上位25%に入ることができれば報酬をあげます。一番早く問題を解くことができた場合にはさらに報酬をあげます」と伝えます。
結果はどうなったでしょうか?
多くの人は、もちろん後者(報酬がもらえるグループ) の方がより早く問題を解いた、と思うのではないでしょうか?
結果は反対です。
報酬を与えたグループの方が逆に、より問題を解けなくなってしまいました。
問題の種類によっては、報酬は逆に問題を解くことを困難にしうるのです。
じゃあどうすればいいの?
上記のように外部的に与えられるようなモチベーションではなく、自然と沸き起こるモチベーションはとてもよいパフォーマンスを引き出す、ということがわかっています。
(何かに熱中してあっという間に時間が過ぎていく経験は誰にでもあるのではないでしょうか)
そして、そのようなモチベーションを生み出すためにはいくつかの条件があります。
まず第一に、自主性が重んじられている必要があります。
どうやってその問題を解くのか、どのような演技をするか、どんな戦略で攻めるか、ある程度自分で自由に決められる環境が必要になります。
手順が明らかであればあるほど、ルールが多ければ多いほど、自由度が低ければ低いほど、自然にモチベーションが沸き起こることはありません。
第二に、それによって自分の能力が向上するように感じられなければなりません。
人は誰しも、自分の能力を高めたいという願望が備わっています。(そうでなければ、きっとあなたは二足歩行もしゃべることもできなかったでしょう)
自分にとって何のためにもならないような挑戦をしたい人間はいません。
第三に、自分ならできると信じられなければなりません。
どんなに自由が与えられて自分の能力が向上するとしても、到底自分には成し得ないように思えることには人は挑戦しようとは思えないからです。
もちろん、これらの条件が全て満たされていれば必ずモチベーションが湧くわけではありません。
そして、このような条件を整える作業は時として、報酬や罰を与えるよりもずっと大変かもしれません。
人はコンピュータではないのでひとりひとりのベストな選択は異なるからです。
人を人としてちゃんと扱うこと、人と向き合うこと、そんな当たり前のことが 1番大切なことなのかもしれません。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。