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まず最初に、これはあなたへ「何か」を強要するための文章ではありません。
これは私の個人的な思想であって、価値観であって、目標になります。
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「なんのために自分は生きているのだろう」
そんなことを考える瞬間が、誰しもきっと人生に一度はあるのではないでしょうか。そして多くの人は
「私は私を幸せにするために生きているんだ」
と結論づけるでしょう。この考えは実に理にかなっています。
どんなに辛いことがあっても、未来の幸せのためだと思えば人は結構頑張れたりします。
そもそも誰だって、不幸せより幸せになりたいと願うものですからね。
不幸せな時間を少しでも減らし、幸せな時間を増やそうというアプローチは、種の保存という観点からもいい考え方のように思えます。
ここでは分かりやすく、人生の目標を「自分の幸せな時間を最大化すること」としてみましょう。
え? 分かりづらい? どんまい!
(だってこうしないと、たとえば美味しいココアとか飲んで、幸せだなぁ、ってなって、お、人生の目標達成しちゃったじゃん! あと特に目標ないし、死のう! ってなっちゃいますからね)
そういう目標を持った人が、例えば豪華客船に乗ったとしましょう。
何千人も乗っている大きなお船ですね。
そして、その大きなお船が氷山にぶつかったとしましょう。
船はどんどん沈んでいきます。
海水の温度はとても低いため、このまま船が沈んでしまえばあなたは海に投げ出されて確実に死んでしまいます。
生き残る方法はただ一つ、救命ボートに乗ることです。
しかし、何千人も乗っている豪華客船です。
全員分の救命ボートなどあるはずもありません。
この中の半数以上は数時間後には死んでしまうことになるでしょう。
このときに、さっきの「自分の幸せな時間を最大化すること」を人生の目標としている人はどんな行動に出るでしょうか。
もちろん我先に救命ボートに乗ろうとするでしょう。
死んだらもう「幸せ」はゲットできないですからね。
自分が生き残るためにはもちろん女子供なんて押しのけて救命ボートに乗るはずです。
これが美しくないなぁ、と私は思うわけです。
「幸せになる」というアプローチだと、どうしても死に際が分からなくなってしまいます。
当然ですよね。
だって死んでしまったら「幸せ」を感じることはできないですから。(たぶん)
だから、さっきのお船沈没事件みたいなときにカッコよく死ぬためには「幸せ」とはまったく違う人生へのアプローチが必要なわけです。
ちなみに、私の現時点での人生の目標は「美しく死ぬこと」です。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。