1. 小野瀬 さん
[2017/09/03 05:39:00 JST(UTC+09:00)]
他者の目に移る自分を気にしている、フリードリヒ・ニーチェの批判する「畜群」が共感しそうな考え方だ。他者のために道を譲る、それは自分の人生を生きていない人間の周りの目を気にした恥ずべき思想。
俺らは今こうして生きているだけでも、それこそ数えきれない数の先人…人でないものも含め…犠牲の上に立っている。その犠牲の声が聞けるならば、死にたいと思うことなどできるはずもない。美しい死に方は存在しない。何としてでも生き延びる、そして死にゆくものたちのためにも今を生きる、それこそが美しい姿じゃないのか?
俺は都会の鳩が好きだ。神話に出てくるような綺麗な色ではない。排気ガスにまみれ、羽は汚い灰色。それでも逞しく生きている。ゴミを漁ってでも生きている。温室育ちの白い鳩より、俺はそちらが美しいと感じる。
素直に自分の人生を生きろよ。人として生まれたなら、格好を気にする畜群ではなく愛ある超人を目指せ。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。