今回のお話は以下のお話に関連しています。以下をまだ読んでない人は先にこちらを読むといいかもしれません。
自由に生きてはいけない
今回のテーマは「大人」です。
このページを開くような人はきっと、「大人」についていろいろ思うところがあるのでしょう。
ですが今回は、わたしが勝手に「大人」の定義を決めます。
「子ども」=「親のせいにする人」
「大人」=「自分のせいにする人」
こうします。
たとえば、赤ちゃんがミルクを飲めずに死んでしまいました。
この場合、赤ちゃんの死はミルクを与えなかった親の責任でしょう。
だから、赤ちゃんは「子ども」です。
人はみな「子ども」からスタートします。
なんでも親にやってもらわなければいけません。
そして、親に「これをやれ」と言われたことをします。
「子ども」は親の言ったことをしているだけなので、その結果失敗してしまったら親のせいにできます。
なぜならそこに「子ども」の意志はないからです。
でもあるとき人は反抗期を迎えます。
これはとても重要な儀式です。
親に逆らうということは、今まで親の責任で行動してきた「子ども」が自分の責任で行動しようとする「大人」へと飛躍する瞬間だからです。
「子ども」が親の言うことと違う行動をした瞬間、「子ども」はその行動の結果をもう親のせいにはできません。
この「反抗」という儀式を経て、人は「大人」へとなっていきます。
(反抗期がない人もたまにいますが、そういう人は親の「これをやれ」という指示に対して自分の責任で行動している、とてもいい子なのだと思います。もしくはまだ「子ども」な可能性もありますが)
以上が「子ども」と「大人」についての簡単な概要説明でした。
本題です。
私の主張は以下です。
『世界中の子どもは、成人するタイミングで自分の国籍を選べなければならない』
(一応言っとくとこれは理想論です。現実にどうやって実現させるんですか? と聞かれると、解決しなければならない問題が多すぎてこのページでは収まらないのでそれはのちほど)
「大人」の話まったく関係ないじゃん、とか思った人へ
どうして我々は法律を守らなければならないのでしょうか?
どうして赤信号を渡っていけないのでしょうか?
人を殺してはいけないのはなぜでしょうか?
それは、法律にそう定められているからです。
では、我々はなぜ法律に従わなければならないのでしょうか?
日本に住んでいるから?
法律によってもたらされる利益を享受しているから?
よくよく考えてみると、そこには理由などないことに気づくはずです。
我々はそれを選んでいないのですから。
そこに我々の意志はないのですから。
つまり、「国家」にとって我々は自分の意志で生きていない「子ども」なのです。
今、日本人の間に生まれてしまった人は強制的に日本国民にさせられ、日本の法律に従わなければなりません。
これは絶対に間違っています。
我々は人間です。
自分の意志で生きる権利があるはずです。
「自分の国籍を選ぶ」ことを通して、今こそ我らは「国家」から自由になるべきなのです。
もちろん、そこでまた「日本人」を選んでもまったく問題ありません。
その場合でも、そこにはその人の意志が存在するので、その人は日本という「国家」から自由になります。
(さっきの例の、反抗期がないとてもいい子のパターンです)
昔、「王さま」は強大な力を持っており、それが当然だとされていました。
18世紀ごろ、市民革命により絶対王政が崩れました。
人類が、「王さまの強大な力」というものは何の根拠もない幻想なのだと気づいたのです。
人類は「王さま」から自由になりました。
昔、「奴隷」は世界中に存在しました。
20世紀になると、法規によって各国が奴隷制度を禁止しはじめます。
人類が、「奴隷」というものは何の根拠もない幻想なのだと気づいたのです。
人類は「奴隷」から自由になりました。
今、多くの人が「国家」というものを当たり前のように受け入れています。
ですが、一部の人は気づきはじめいています。
「国家」もまた、何の根拠もない幻想なのではないか、と。
人類が「国家」から自由になる日も、そう遠くないのかもしれません。
どなたでもご自由に書き込んでください。
Fully Hatter が愛をもってご返事いたします。